日本にいるインド人さん歓喜。奈良の大仏と菩提僊那の話

 

日本に住んでいる2人のインド人とお寺に行ったとき、そこに飾られていたこんな絵の前に立って、彼らが何やら話をしている。
そしてパチリと写真を撮る。
この絵の何が引っ掛かったのか。

 

 

 

わけをたずねると、ひとりがこんな話をする。

「この人たちが身につけている服やアクセサリーは、完全にインドのものだ。そんな絵が日本のお寺にあるというのはインド人としてうれしいし、誇らしいね。それで2人でいま、インドが外国に与えた影響について話をしていたんだよ。」

この気持ちはわかる。
海外で日本語が使われていたり日本の文化を見かけると、ふだん眠っていた大和魂が刺激されて、思わず写真に撮らずにはいられない。

 

タイの首都バンコクのデパートで開かれていた「夏まつり」。
浴衣を着て写真を撮るコーナーが人気爆発で長い列ができていた。
なぜかセーラー服(写真右)もあり。

 

ミャンマーの蚊取り線香

「日本語?普通の人は読めませんよ。でも日本製品には高品質で良いイメージがありますから、会社が勝手に使うんですよ」とガイドが言う。

 

インド人がお寺で見た絵は部屋の高いところに飾られてあったから、彼らはそこに日本人の”敬意”を感じ取って愛国心が満たされたかもしれない。

 

 

本日4月9日は「大仏の日」だ。
752年のこの日、奈良の東大寺で大仏の開眼供養が行われたことから「大仏デー」になっている。
さて、なんで聖武天皇は巨大な仏像を建立しようと思ったのか?

当時は天然痘(疫病)が大流行して貴族の藤原四兄弟(武智麻呂・房前・宇合・麻呂)が亡くなり、他にも飢饉や大地震が起こって、さらに反乱(藤原広嗣の乱)が発生するなど、世の中はこれ以上ないほど乱れまくっていた。
多くの人が死んで日本が不安や絶望で覆われている状況を、「すべての責任は自分にある(責めはわれ一人にあり)」と感じた聖武天皇が、仏教の力で国を守ってもらおうと仏像をつくることを決意。
これが当時の聖武天皇の思いだ。

「三宝(仏、法、僧)の力により、天下が安泰になり、動物、植物など命あるものすべてが栄えることを望む」
(誠に三宝の威霊に頼り、乾坤相泰(あいやすら)かに万代の福業を修めて動植咸(ことごと)く栄えんことを欲す)

東大寺に仏像を建立したのは、中国・洛陽にある毘盧遮那仏をモデルにしたといわれる。

 

仏像は最後に眼を描き込むことで(点睛)、魂が宿って崇拝の対象となる尊い仏像となり、その儀式を開眼供養(開眼法要)という。
これができるのは高い徳のある特別な人だけ。
奈良時代のこの国家プロジェクトでは、インド人の仏教僧・菩提僊那(ぼだいせんな)が導師をつとめた。
本当はシャカの誕生日に合わせて4月8日にこの儀式をしたかったけれど、当日は悪天候だったため、翌日になったと考えられている。
開眼法要をインド人僧にお願いしたのも、日本人が仏教的に最高の日と人物にこだわった結果だろう。

こうした業績が認められて菩提僊那は、聖武天皇、行基、良弁とならぶ東大寺の「四聖」として人々に崇拝された。
歴史上、天皇に匹敵するほど、日本人から深く尊敬されたインド人はきっと菩提僊那しかいない。

 

日本にいるインド人さんにこんな話をすると、これまでの経験上、みなさんもれなく自尊心や愛国心を満たされて喜んでくれる。
だからお寺に行ったときや仏教の話をすると、たまに奈良の大仏と菩提僊那の話題を出す。
でもこのインド人僧を知っているインド人には会ったことがないから、インドでは無名らしい。

 

 

インド 目次 ①

インド 目次 ②

インド 目次 ③

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。