精度高すぎ:伊能忠敬の日本地図、ペリー&英国海軍を驚かす

 

ほんじつ4月19日は「最初の一歩の日」。
なにその「はじめの一歩的」な?

そんなツッコミはもはや避けられないのこの記念日は、日本の“地図神”に関係している。
江戸時代の1800年4月19日(旧暦)、当時55歳だった伊能忠敬(ただだか)が測量の旅に出かけた。
そしてそのあと約17年をかけて、日本各地を歩いては測量するという日々を過ごし、のちに外国人がビックリするほど正確な日本地図を作り上げる。
その偉大な道のりの始まりとなった日だから「地図の日」で、同時に「最初の一歩の日」とも呼ばれている。

ちなみに伊能忠敬の死後、彼の弟子が師の地図を基に日本全図(大日本沿海輿地全図:だいにほんえんかいよちぜんず)を完成させた。
*「輿地(よち)」とは地球や全世界という意味。
科学的な実測によるこの日本初の全体図は「伊能図」ともいう。

伊能忠敬が55歳でこの偉業を始めようとしたのは、「GOGO」という縁起かつぎだったという説は特に聞いたことない。が平均年齢の低かった江戸時代に、その年齢で日本全国を測ってやろうと決意しただけではなく、実際に行動したのは「尊敬させてもらいますっ」のひと言しかない。

現代に比べて乳幼児死亡率が異常に高かったから、条件は違うのだが、江戸時代の平均寿命はおおよそ30~40歳だ。

 

愛知県・渥美半島のあたりの地図
もちろん手書きで色まで塗っている。
もう“異能忠敬”と呼んでいい超人的レベル。

 

この伊能図を手にして、あまりの精度の高さに「マジかよおい!」と驚いたのがこのアメリカ人。

 

 

アメリカ政府の指示を受けて、日本に開国を求めた海軍の軍人ペリー。
当時の日本人に驚がくと恐怖を与えた黒船(蒸気船)に乗っていたペリーを驚かせたのが伊能忠敬の地図だった。
自分たちが江戸湾の付近を測量して作った地図と比べると、伊能忠敬が足で作った地図のほうが正確だとわかって、日本人の知的レベルと技術力に目を見張る。

それでペリーは「これはうかつに攻撃はできない…」と考える。
つまり結果的には、伊能図によって日本は植民地化の危機から救われたのだ。

なんて話がたまにブログなんかに書いてあるけど、この根拠が確認できないからこれは「言い伝え」だろう。

でも「目を見張る」まではガチ。
このとき米軍が作成した地図より、伊能図のほうがはるかに正確だったことがわかってペリーを驚かせた。

朝日放送の『コヤブ歴史堂』のスピンオフ・ブログにそのへんのことが書いてある。

おもしろ江戸時代

また英国海軍も伊能忠敬の地図の精度に驚嘆し、海軍水路部の日本海図には伊能図を採用することにした。
伊能忠敬の地図が欧米人の日本人観に、大きな影響を与えたことは間違いないだろう。
55歳の踏み出した小さな一歩は、その後の日本にとっては偉大な一歩となった。

 

 

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。