「皇帝(カエサル)のものは皇帝(カエサル)に、神のものは神に返しなさい」
聖書にそんな言葉があるように、モノは本来の所有者に戻さないといけない。
でも現在の国際法ができる前、100年前や数百年前に他国へ運ばれたものはどうなるのか?
その対応はいろいろあるが、古代エジプトの神殿にあった彫刻を持っているフランスのルーヴル美術館は、エジプト政府の返還要求にNOと首を横に振る。
最近そんなことを書きやした。
博物館の“略奪”文化財:欧米&日本 vs エジプトや韓国など
でもフランスは『貸与』なら認める場合もある。
所有権は譲らないとしても、現物はその国の博物館に渡して、多くの国民に見てもらうというのは確かに問題解決のひとつだ。
でも、韓国さんはそれでも不満らしい。
朝鮮日報(2021/04/22)
【独自】外奎章閣儀軌、フランスから送られた1通の電子メール
1868年に、(韓国側が言うには)フランスに略奪された文化財『外奎章閣儀軌』(儀軌とは朝鮮王室の行事を文字と絵で整理した書籍)が2011年に戻ってきた。
当時の韓国は「145年ぶりの帰郷!」と欣喜雀躍(きんきじゃくやく)し、これを事実上の返還とみた。
でもすぐにいろんな不都合に気づく。
これはあくまで5年ごとの『貸与』。
所有権は今もフランス国立図書館にあるから、韓国の貴重な宝であるもにかかわらず、国がこれを国宝に指定することはできない。
またフランス側が認めないと、韓国の国立中央博物館の外に出すこともできない。
国外はもちろん、たぶん国内の移動もできない。
それで結局いまでは怒りとともに、「完全な所有権を取り戻すべき!」という声がわき上がっているとか。
ところで朝鮮日報の言う『外奎章閣儀軌』なんだが、日本では『朝鮮王室儀軌(ちょうせんおうしつぎき)』として保管していたことをご存じだろうか?
朝鮮王室儀軌
国内法を根拠に返還を頑として拒否したフランスと違って、日本はとてもやさしかった。
2011年に日韓首脳会談がおこなわれたとき、日本政府は朝鮮王室儀軌と詩文集『正廟御製』の現物を、所有権と一緒に韓国側に引き渡す。
その認識のズレはまぁいつもの日韓ですよ。
当時の日本政府は「日韓友好に資する」と評価した一方、李明博政権は「取り戻した」として対日外交の勝利とした。
この理解の仕方の違いはすぐに現れる。
韓国側は新たに京都、奈良、九州、東京の4国立博物館が所蔵する朝鮮半島由来の文化財4422点などの返還も求めている
日本がこの要求をのむことは不可能。
2011年の対応のせいで日韓関係はかえってギクシャクしたのでは?という声が上がるのも当たり前。
いまから振り返ると韓国側が文化財の返還を、「韓日友好に資する」と高く評価してくれるなんて、お花畑にもほどがある。ただの死亡フラグだった。
「勝利」や「成功体験」ととらえて、「次」や「もっと」を求めてくることになんで気づかなかったのか。
いや、その未来を予想していた人もたくさんいたはず。でも、「日韓友好!」の声に負けたのだろう。
政治は結果だ。
これで日韓がともに喜んで、きずなが深まったのなら成功。
でも全体的には「返還要求に応じない日本」というイメージが韓国で強くなって、関係はむしろ離れたように思う。
フランスのように感情や大声に流されず、法律に従ってしゅくしゅくと対応すればよかったのだ。
フランスが「仏韓友好に資する!」という理由で文化財を返還するとは思えない。
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