世界と日本で初めて体温計(と安全マッチ)を開発した人

 

コロナコロナで最近の浜松市では、レストランやお店、ジムに入る時には体温を測ることが多くなった。
これはもう日本全国、いや世界規模で常識になっているはず。
ワクチン接種が進んでいる国は抜け出したかも。

さて、この体温計を人類で始めて作った人は、「1度でいいです」とツッコみたくなる名前のサントーリオ・サントーリオ(1561年 – 1636年)というイタリアの医学者だ。

 

サントーリオ×2

 

ヴェネツィア貴族の出身のサントーリオは、一歩間違えれば「ド変態」と言われかねない変わった人だった。

あるとき自分の食べた物が体内でどうなるか気になった彼は、それを確かめるべく、巨大な秤(はかり)の上でご飯を食べて、その前後の体重の変化を量り、さらに自分の排泄物の重さも量った。
すると食べた物より”出した物”のほうが重くない、つまり摂取する飲食物より、ウ〇チやオシ〇コの総量のほうが軽いということを発見。
そして時間が進むと、体重が減ってくることにも気づいた。
この重さの変化をサントーリオは、食物が汗のようなものに変わったのだと考えた。
いまでいう「代謝」に注目したのがこの人物。

 

 

サントーリオはこんな秤の上で食事をして体重の変化を記録し、排泄物の重さを量るという生活(実験)を30年間も続けたという。
こんな熱意によって、彼は科学的近代医学の礎と呼ばれるようになった。
体温計のほかに脈拍計を開発したのもこの人だから、偉人と奇人は裏表か。

 

 

日本で初めて体温計を開発したのは柏木 幸助(かしわぎ こうすけ:1857年 – 1923年)という発明家。
ヴェネツィア貴族のサントーリオと違って、柏木は山口の薬屋(薬種商)の家に生まれた。

いまでも見られるような、「安全マッチ」を日本で初めて作り出したのも彼だ。
それまでのマッチは発火薬に黄燐(おうりん)を使っていて、これは先端を何かにちょっとこすっただけで発火するというかなり危険なシロモノだった。
それで柏木は赤燐(せきりん)を採用し、マッチ箱の側面に塗ってある薬品とこすらないと発火しないようなマッチを開発する。
黄燐マッチより安全ということで「安全マッチ」と呼ばれた。

でもマッチ工場が全焼し、父親の反対もあって彼はマッチ製造をあきらめる。
その後、家にあった寒暖計をヒントにして体温計の開発をはじめ、1883年(明治16年)に国産第一号となる体温計の製造に成功する。
なんつーか不屈の人。

物理や化学を学んだ柏木は体温計や安全マッチのほか、しょうゆを早く醸造する方法なんかも開発した。
そしてしょう油の速成醸造法を研究しているときに、消化酵素のジアスターゼを発見し、その製造法の特許を取得する。
1920年に柏木から、その製造販売権を譲渡されたのが三共株式会社だ。
彼は船で世界一周旅行にも出かけているし、アニメになりそうな創造的でアクティブな人生を送っている。

サントーリオ・サントーリオのように、強い信念やこだわりがあったのだろう。

 

 

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1 個のコメント

  • > サントーリオはこんな秤の上で食事をして体重の変化を記録し、排泄物の重さを量るという生活(実験)を30年間も続けたという。(改行)こんな熱意によって、彼は科学的近代医学の礎と呼ばれるようになった。

    サントーリオが「人体の代謝」という考えにこだわったのは、ガリレオ・ガリレイとの会話の影響によるものだとされているようです。サントーリオはじめ当時のイタリア科学は現代医学・生化学への礎となりました。が、それだけでなく、「イタリア・ルネッサンス」こそは、それまでの中世キリスト教暗黒時代(←暗黒とは、人々の知識が全て暗愚の状態にあったことを指す)に「知識の神再降臨」の光をもたらした、現代文明に直接つながる重要なできごとでした。
    それは医学や生理学に限らず、たとえばイタリア代数学からの発展が現代数学へと繋がり、さらには現代文明を構築している自然科学全般の進歩にも繋がっています。

    ところでルネッサンス(文芸復興)がイタリア都市国家で最初に勃興したのは理由があります。それは、ギリシャ・ローマ文明の偉大な蓄積を、その後の野蛮なヨーロッパ人に代わって、イスラーム教徒たちが維持・発展させてくれたおかげです。地中海に面したイタリア人は、イスラーム教徒に対する十字軍などの征服戦争を通じてその成果を自国へ持ち帰ったのです。
    その証拠に、現代に伝わるギリシャ・ローマ時代の数々の文学作品や自然科学についての著作は、そのほとんどがアラビア語を経由してラテン語へ翻訳され、そこから現代欧米語に再翻訳されたものです。欧米人はその点に関して、もうちょっとイスラーム教徒に感謝と敬意を表するべきでしょうね。
    現代の欧米人はそのことを知らない者が多いようですが。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。