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「鳳凰網」という中国メディアが、日本が明治維新後すぐに世界一流の海軍を持ったことを、驚きをもって伝えている。
「世界一流」とは、旧日本海軍が日清戦争で清の北洋艦隊を破ったことや日露戦争でロシアのバルチック艦隊を撃破したことをさしているらしい。
驚異的だ! 明治維新後の日本は「たった40年」で世界有数の海軍を作った=香港
一方で記事は、ペリー提督率いる米国艦隊が日本に開港を求めてやってきたのは1853年のことであり、当時の日本人に大きな衝撃を与えた黒船来航は日本海海戦の52年前、そして日清戦争中の黄海海戦の41年前だったと紹介、「黒船来航当時の日本に海軍はなかった」にもかかわらず、わずか40年ほどで一流の海軍を保有した当時の日本に驚きを示した。
まあ、旧日本軍の海軍には、イギリス製の艦船が多かったけどね。
ちなみに、イギリスが造船した戦艦「三笠」は、進撃の巨人に出てくる「ミカサ」の由来になっている。
戦艦はイギリス製でも、それで戦ったのは日本人だし「坂の上の雲」に出てくる下瀬火薬は日本人がつくっている。
明治38年(1905)の日本海海戦において、明治連合艦隊がバルチック艦隊相手を撃滅できた背景には、様々な要因があった。そのひとつが、バルチック艦隊を恐れさせた「下瀬火薬」と「伊集院信管」であった。
日清戦争のときの清の国旗
北洋艦隊の軍服
前回、外国人が驚く日本のサービスについて書いた。
今回は、その「原点」というべき越後屋(三越百貨店)がおこなったサービスについて書いていきたい。
最近、お客さんが減って大変だという日本の百貨店にエールをこめて。
あるサイトで、専門家の日本人から見た「日本と外国のサービスの違い」について書いてあった。
まずは、これを読んでほしい。
1. お客様が神様
「お客様は神様」という教育は日本以外の国ではあまり見られない。「外国ではお客と店員は対等で、日本のようにお客様が常に上という関係はない」と海外での接客経験がある日本人はよく言う。
日本では「店員<客」という立場は、あたり前。
良いか悪いかは別として、客が悪いにもかかわらず店が謝ることはよくある。
レストランのバイトで、ムチャなことを言う客に謝っている気の毒な店長を見たこともある。
海外ではこの点が違って、店や従業員の立場は日本より強いという。
それが上に書いてある「店員は客と対等」というもの。
友人の韓国人が東京のレストランで働いていたとき、「~させていただきます」という日本語が大嫌いだと言っていた。
「店員だからということで、なんでそんなに自分を低くしないといけないのか?腹が立ってきます」
そんなグチを言っていた。
この韓国人が言うには、「させていただきます」という日本語に相当する韓国語はないらしい。
韓国での「客と店員」という関係性は、日本での「客と店員」とは異質なものだから、日本語の「させていただきます」の概念を正確にあらわす韓国語は見つからないという。
先ほどのサイトでは、日本のサービスが外国のサービスとは違う理由として、「差別化」もあげている。
2. お客様満足度で差別化競争
日本のホテル業界や外食産業などを観察して思うのは、日本では非常にライバル他社との競争が激しいということだ。日本は海外に比べて価格や商品の質が同じレベルの同業他社が多く、なかなか差別化が図りにくいように感じる。たくさんいるライバルからお客様に選ばれるためにどこの会社も競ってサービスの質を向上させようと躍起になる。
一面的な見方だけど、これはもう日本の飲食業やホテル業が「行きつくところまで行ってしまった」ということでもある。
これ以上、味や客室を良くしたりコストを下げたりすることは難しいから、「後は従業員のサービスで勝負!」ということなのだろう。
東南アジアでは、似たようなレストランやホテルが多い印象は受ける。
でも、外国は貧富の差が日本より激しいから、収入によって行くレストランの違いがはっきりしているとは思う。
ただ、最近は日本のスーパーでセルフレジが広がっている。
最大のサービスは「客を待たせない」ということかもね。
外国人は、「日本のサービスは丁寧だし、気持ちが良い」とよく言う。
まあ、「やり過ぎ」という声もあるけど。
レストランでもホテルでも、日本でサービスが生まれる根底には、自分本位ではなくて相手の立場になって考える相手本位の考え方がある
相手が良い気持ちになるには、自分の言葉、態度、振る舞いをどうすればいいのか?
そうしたことは、客の立場になって考えることで初めて見えてくる。
丁寧な笑顔やお辞儀といった日本的なサービスも、「お客様本位」という立場が前提となっている。
日本の歴史を見てみると、そんな「お客様が第一(カスタマー・ファースト)」を江戸時代に実現した人物に、越後屋の三井高利(みついたかとし)がいる。
越後呉服屋
三井高利が1673年に江戸に開いた呉服店。「現金掛け値なし」と切売り商法で繁盛。両替商も兼業。幕府の御用(達)商人。明治期になって分立し、現在の三越百貨店につながる。
(日本史用語集 山川出版)
この越後屋の三井高利が、「現金掛け値なし」というぼったくりなしの定価制での販売を始める。
これは、世界で初めてのこと。
このことは、前回の記事で書いた。
越後屋(三越)、世界初となる定価制(現金掛け値なし)を始める
越後屋の三井高利は、「現金掛け値なし」以外にも新しい売り方を始めた。
それが、「切売り」というもの。
もうひとつは呉服業者間では禁じられていた「切り売り」の断行である。当時は一反単位の取引が常識で、どの店も一反から売っていたものを、客の需要に応じて切り売りし、江戸町民の大きな需要を掘り起こした。
*この記事では、「日本史用語集」に合わせて「切売り」と書く。
簡単に言ったら、「1メートル単位でしか、布は売りません」というお店中心の売り方から、客が望む長さに切って売るという客中心の売り方に変えている。
だから客が「50センチだけほしい」と言えば、50センチに切って売っていた。
もちろんこのやり方は、今の日本では当たり前。
でも、この切売りをおこなったのには、勇気や男気が必要だったはず。
「呉服業者間では禁じられていた」というのだから、これをやったら他の呉服屋からはにらまれたことだろう。
このとき他の店は、グループになって越後屋をつぶしにかかったのではないかと思う。
今の日本でも「業界のタブー」を破れば、その店は同業他社にたたかれるし、時にはつぶされる。
いろいろな店を敵にまわす覚悟で、「お客様が第一(カスタマー・ファースト)」をつらぬいて切売りを断行した三井高利の勇気や男気はすごい。
でも、「お客様が第一(カスタマー・ファースト)」で三井高利がおこなったことはこれだけではない。
それは、次回に書きます。
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