【東郷平八郎】世界史に残る勝利を収めた名将の”その後”

 

日本人として忘れちゃいけない、5月27日は「百人一首の日」。
123年のこの日、藤原定家によって小倉百人一首が完成されたということでこの記念日がつくられた。

でもってこの日は「日本海海戦の日」でもある。
日本とロシアが朝鮮半島・満州(中国東北部)をめぐって対立し、1904年に戦争がはじまった。
翌1905年5月27日に行われた日本海海戦で、東郷平八郎が率いる日本艦隊がロシアのバルチック艦隊を撃破。
これが日露戦争での日本の勝利を決定づけた。

この戦いは高校日本史でならう重要事項だからおぼえておこう。

日本海海戦

1905年5月27日~28日。
ヨーロッパから回航してきたロシアのバルチック艦隊(ロシア最大の艦隊、38隻)を迎え撃った日本連合艦隊(司令官東郷平八郎、作戦参謀秋山真之、旗艦三笠以下41隻)が、対馬海峡で壊滅的な打撃を与え、戦局を決定した。

「日本史用語集 (山川出版)」

 

司馬遼太郎の名作『坂の上の雲』の中で、イギリスの海軍研究家ウィルソンが日本海海戦についてこう感嘆している。

なんと偉大な勝利であろう。自分は陸戦においても海戦においても歴史上このような完全な勝利というものをみたことがない

「坂の上の雲 (司馬遼太郎)」

いまの日本人が「世界史的な勝利」と聞けば、この偉大な勝利を含めた日露戦争の勝利を連想する人が多い。

 

 

Tōgō_Heihachirō

東郷平八郎

 

 

日本海海戦のとき、旗艦三笠で指揮をとる東郷(1905年)
ちなみに『進撃の巨人』に出てくるミカサの名前の由来がこの戦艦だ。

 

「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」と全軍に伝えて戦意を鼓舞して戦いに臨み、のちに世界から「トウゴウ・ターン」と称される捨て身の戦法をとり、鮮やかにロシア艦隊を打ち破った。
もし日露戦争で敗北していたら、日本はきっとロシアの植民地になっていたはず。

日本国民はこの救国の英雄に熱狂し、彼を神格化した。
そのせいで東郷が重病と知ったある小学生は「トウゴウゲンスイデモシヌノ?」という文を書いて、それが新聞に掲載され大きな話題となる。
「それはやめてほしい」と本人が生前に言ったにもかかわらず、死後、民衆の熱意で彼は神として「東郷神社」に祀られた。

海外での評価も高く、たとえばロシアに苦しめられていたトルコは日本海海戦での日本の勝利に歓喜し、東郷の勝利を祝った。
自分の子どもに「トーゴー」と名づける国民までいたほどだ。
東郷平八郎は世界的に有名な海外メディア『タイム』の表紙を飾った最初の日本人となる。

太平洋戦争で日本に勝ったアメリカもこの人物には敬意を払った。

第二次世界大戦後、GHQによって日本の軍事的モニュメントの撤去作業が行われたが、米国海軍は東郷に関するものには手を触れさせなかった。

東郷平八郎 

日本海海戦から戻ってきた東郷らを迎える国民
もはや「王の帰還」。

 

日本を救い、世界を驚かせた名将は昭和9(1934)年5月30日に息を引き取る。

東郷の葬式にはイギリス海軍、アメリカ海軍、フランス海軍、イタリア海軍など世界各国が参加しその死を悼(いた)んだ。

世界史に残る「完全な勝利」を収めた東郷平八郎。
その後の暮らしぶりは、当時の日本にいたイギリス人女性エセル・ハワードが残した記録を見ればわかる。

東郷提督は大勝利を得た後も、東京の小さな人目につかない家に住み、一般の市民と同じく、外に彼の名を記した小さな木製の表札を掛けていた

「明治日本見聞録 (講談社学術文庫)」

 

これからの日本で、こんな生き方のできる人物はもう現れないかもしれない。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。