【作り変える力】中国や欧州に起源をもつ日本文化の例

 

6月4日は長野県で「ローメンの日」らしい。
ローは言うまでもなくローキック、メンは剣道のかけ声で、ローメンとは長野県発祥の総合格闘技のことだ。
ではなくて、こんなおいしそうな麵料理ですた。

 

 

羊肉と野菜、それに蒸した中華麺を独特のスープで煮込んだ食べ物がローメン。
長野県伊那市の中華料理店の日本人オーナーが考案した麺料理で、いまでは伊那市の名物料理になっているらしい。
麺を蒸すことが特徴だから、「6・4」に「蒸し」をかけてこの記念日の出来上がり。

くわしいことをローメンをクリックしてくれ。

 

日本人は海外から伝わったものを、自分の好みや価値観に合わせて別ものに作り変えてしまう。
中華麵もそのひとつだ。

日本では、ラーメンなど日本風にアレンジされた中華料理の食材として普及し、「中華麺」の名称で知られるようになり、本場の中国にも劣らない程の発展を遂げた。

中華麵 

 

そんな日本人の創作能力の高さ、魔改造っぷりは、こんなイギリス人の投稿からもわかる。

「The Japanese Kit-Kat will never cease to surprise me, here is a pudding Kit-Kat that I have tried for the first time yesterday」

ヨーロッパで生まれたキットカットは世界中に広まっているから、いろんな国際空港でこのチョコレートバーを見たことがある。
でも日本では抹茶味、イチゴ味、ほうじ茶味、それに上にあるプリン味のキットカットなどなど独特の味を考案し次々と世に生み出す。
だからこのイギリス人のように「日本にはいつも驚かされる!」という外国人は多いのだ。

 

歴史的にみれば、日本人は中国から漢字や仏教などの文化を取り入れて、それを進化・発展させていった。
たとえば現代の中国人もよく使う、進化・文明・共産主義といったことばは、日本人が新しい意味を与えるなどして作りだした和製漢語だ。
「発展」もそうかも。

津田 左右吉(つだ そうきち:明治6年 – 昭和36年)という戦前の日本を代表する歴史学者で思想史家は、日本と中国を比べてこう言う。

日本のことを知れば知るほど、支那のことを知れば知るほど、日本人と支那人とは全く別世界の住民であることが強く感ぜられて来るのである。

「支那思想と日本」

*「支那」は現代では侮辱語になるからNGワード。

 

津田はここで、日本人と中国人の上下や優劣について書いてるわけじゃない。
政治的・経済的に日中の「両民族が提携しなければならぬ」と指摘しているのだから。

日本には中国由来の文化が多くあることから、それらを同じようなもの、大きくみれば中国文化に含まれると考える日本人がこのころ多くいたらしい。
でも津田に言わせるとその認識は間違いで、日本人と中国人はそれぞれ別の文化を持つ、全く別世界の住民だと主張する。

由来はどこでもいい。
どこから伝わったものであれ、ある国が新しい価値観や表現を加えて独自のものに作り変えたら、それはその国の文化になる。
これは特に欧米人にとっては常識で、抹茶味やプリン味のキットカットは「The Japanese Kit-Kat」だ。
ピザがイタリア発祥だとしても、ニューヨーク・ピザを「NYの文化」と聞いて違和感をもつ欧米人はいないだろう。
そもそもトマトは南米からヨーロッパにきたものだし、ピザ生地の起源を言い出したら古代メソポタミア文明やエジプト文明に行きついてしまう。

 

津田 左右吉

 

むかしの日本人は中国から仏教を学んで強い影響を受けた。
でもお彼岸(彼岸会)なんて行事は中国にもインドにもなくて、これは日本独自の仏教行事だ。
春分の日と秋分の日のころには、昼と夜の長さが同じになる。
太陽が真東から昇って真西に沈むことから、西方にある「極楽浄土」をイメージして夕日を礼拝したことが彼岸の始まりという。

エビチリや天津飯は、実は日本でうまれた中華料理ということを、中国旅行でお世話になったガイドから聞いて初めて知った。
そのガイドも日本について勉強している時に、「幹部」ということばは日本から伝わったと知ってビックリしたという。
日本や中国のことを知れば知るほど、それぞれの独自性や影響がみえてくる。

エビチリや天津飯が日本の創作中華と知っていても、長野のローメンは初耳という人は多いと思う。
日本人には昔から作り変える力がある。
それが日本文化の特徴になっているから、中国やヨーロッパに起源をもつもので、日本で新しく考案されたモノは全国を見ればきっとたくさんあるだろう。
だから海外で現地風にアレンジされた微妙な和食があっても、多少は大目にみてあげよう。

 

 

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1 個のコメント

  • > お彼岸(彼岸会)なんて行事は中国にもインドにもなくて、これは日本独自の仏教行事だ。
    > 春分の日と秋分の日のころには、昼と夜の長さが同じになる。
    > 太陽が真東から昇って真西に沈むことから、西方にある「極楽浄土」をイメージして夕日を礼拝したことが彼岸の始まりという。

    これなんですが、「春分の日と秋分の日には、昼と夜の長さが同じになる」ことを実測して確かめるには、昼も夜も正確に動き続ける時計が必要です。なのでおそらく、日本人がそれを実際に確認できたのは、江戸時代以降の話であったと思います。
    しかしながら、東西南北の方向については、1日のうちで影が最も短くなる南中(昼の12時)の時の太陽の方向を真南として、北および東西の方向を正確に定めることが古代の昔からできたはずです。よって、春分の日と秋分の日を知ることは、日の出と日没の太陽の位置を観測することで可能だったのでしょう。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。