「わたしには命より大事なものがある。それは、命以上に大切なものだ」とか、どこかの環境大臣のようなボンヤリしたことを言っているうちはいい。
でも自分の命よりも信心、神への忠誠心のほうが大事という熱心な信者はやっかいで、歴史を見ると神の名の下でいろんな蛮行を行っている。
ここでは一神教の争いを取り上げよう。
世界史でその代表例を探すなら、なんといっても十字軍の戦いだ。
仏・独・英など西ヨーロッパのキリスト教徒が11~13世紀にかけて、イスラム教徒を”駆逐”し、聖地エルサレムを取り戻そうと計8回ほど遠征し戦った。
自分の命が一番大事だったら、神のためなら死んでもいいと思わなかったら、こんな大規模な軍事行動は起こらなかったはず。
エルサレムを制圧すると、キリスト教軍団は獣と化した。
1099年、軍勢はついにエルサレムの征服に成功した。エルサレムにおいて十字軍は城内のイスラム教徒やユダヤ教徒の虐殺と略奪を行った。
でも、時代が変われば“敵”も変わる。
20世紀になるとユダヤ教徒(イスラエル)とイスラム教徒(パレスチナ・アラブ諸国)が4度の戦争(中東戦争)を行い、つい先月も、イスラエルとイスラム過激派ハマスとの間で衝突が発生し250人以上が死亡した。
十字軍のエルサレム攻略
そこまで大規模ではないものの、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の宗教をめぐる憎悪犯罪や破壊行為は欧米でいまもよく起きている。
「そんな争いはもうウンザリ。これからは対立ではなく、互いの理解を深めるべきだ。」
そう考えた人たちが世界初となる建物をドイツに建設するらしい。
ニューズウィーク誌の記事(2021年6月7日)
ドイツで3つの宗教の合同礼拝所が着工、平和と対話を促す施設目指す
ユダヤ・キリスト・イスラム教の3つの宗教が同じ屋根の下に集まる、世界初の合同礼拝所「ハウス・オブ・ワン」の起工式が5月にドイツのベルリンでおこなわれた。
この「一つの家」にはユダヤ教のシナゴーグ、キリスト教の教会、イスラム教のモスクが作られ、中央の共有スペースでは、それぞれの信者や一般の人が自分の知りたい宗教について学ぶことができるという。
このプロジェクトを推進してきた人たちは、ハウス・オブ・ワンを「宗教の名の下で行われてきたあらゆる残虐行為とは対照的な、平和的共存のモデル」にしたいと考えている。
ではなぜ、その場所としてベルリンが選ばれたのか?
言論や非暴力の抵抗運動によって、1989年に「鉄のカーテン」が崩壊して東西ドイツが融合したところだから、各宗教が互いの違いや価値を認め、平和的に過ごす場所としてベルリンが最適だとか。
ベルリンはかつてユダヤ人絶滅が計画された都市だから、世界初となる3つの宗教の礼拝所がそこに建設されることで、「傷と奇跡の都市」になるとユダヤ教指導者は言う。
このニュースに、八百万の神々の住む国のネットの声は?
・ドイツ人は混ぜるな危険という言葉を知らないのかね
・3つの信仰がひとつになれば1つの正義は100万パワー
・お釈迦様「まあ、いいか」
・同じ神様信じているなら仲良く出来ない方が不思議
・ゲルマン神仏習合
・宗教なくせばいいじゃんか
ところでイスラム教の安息日(礼拝に訪れる日)は金曜日、ユダヤ教は土曜日、キリスト教は日曜日なんだが、ちゃんと異文化・異宗教コミュニケーションは取れるのだろうか。
「平和的共存のモデル」となるべきハウス・オブ・ワンが建設されるベルリンでは、つい先日、こんな事件があった。
中央日報日本語版の記事(2021.06.11)
独ベルリンでヘイトクライム…「中国人か」悪口吐いた4人、韓国人に集団暴行
午後9時ごろ、地下鉄駅のベンチに座っていた韓国人がアジア人であることを理由に、4人組の男から殴られ蹴られの暴行を受けた。
これは日本人も他人事じゃない。
犯人はまだ捕まってないけれど、トルコ人の可能性が高いという。
ベルリンにいるのはドイツ人だけじゃない。
こういう人種差別主義者や、反ユダヤ主義やイスラム恐怖症から、ユダヤ人やイスラム教徒をヘイトするドイツ人もいるのが国際都市ベルリンだ。
さて、「子どもたちには、多様性が普通である未来を持ってもらいたい」という世界初の試みは成功するか。
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>イスラム教の安息日(礼拝に訪れる日)は金曜日、ユダヤ教は土曜日、キリスト教は日曜日なんだが、ちゃんと異文化・異宗教コミュニケーションは取れるのだろうか。
いやいや、むしろ安息日の曜日が異なっているからこそ、建物が一つでも、異文化・異宗教の合同の場が成立するのでしょう。つまり一種の「ワーク・シェアリング」だと思われます。
>地下鉄駅のベンチに座っていた韓国人がアジア人であることを理由に、4人組の男から殴られ蹴られの暴行を受けた。
わはははは、そりゃアジア人(=仏教徒?ヒンズー教徒?道教?神道?)は、世界三大一神教の中に入っていませんからねぇ。しかも中国人と区別がつかないのであれば、「あいつらがウィルスを全世界にばら撒いた!」とばかりに全世界から攻撃されることも、現状ではさもありなんですね。
世界三大一神教が非常に愚かな点は、「個人崇拝は決してこの世の平和に資することがない」という、幼稚な真理にさえも気づいていないということです。(おそらくイエスもブッダも気づいていたと思うのですが。)
ギリシャ・ローマの人々だって気づいていた。その後に宗教を脱したはずの「共産主義」の時代になっても、また「神は死んだ!」とニーチェが訴えても、未だに気づかない。愚かですねぇ。
「人間の幸福を追求する」という大きな目的に合致しているという意味では、日本の神仏習合・大乗仏教ほど理にかなった「宗教」は世界でも希な存在では? ああ、もちろん「私は無宗教だ」と自信をもって主張できる人は、それでも別に構わないのですよ。だけど人間はそこまで賢い動物ではないと、私は思いますけどね。