英語で「黒人」をどう言っていいか分からなくて困った。
そんなことを以前、記事で書いた。
日本人の苦手な人種の話①外国人との会話で「黒人」をどう言うの?
この時は「ブラックでいい」と書いたけど、もちろんこれは個人によって受け止め方は違う。
それで念のため、黒人のキューバ人にメールでこんなことを聞いてみた。
「黒人を『black』って呼んでいいの?」
初対面の人だったら、こんなことを聞いたらダメ。
この黒人のキューバ人とは仲が良いから、こんな質問もできるというだけ。
で、彼女からこんな返事がきた。
For me personally I don’t think it’s rude but some people find it offensive. I think it’s more politically correct to say “African”
お、「politically correct」という言葉があるね。
このことも先ほどの記事に書いてあるから、「何これ?」という人は読んでみて。特にアメリカでは、とても大事な考え方だから。
黒人をブラックと呼んでも、「個人的には失礼だと思わないけれど、攻撃的に感じる人もいる」ということらしい。
この人は、「African(アフリカ人)」という呼び方が適切だと言っている。
この質問は、聞いた相手によって返ってくる答えが違ってくるのかもしれない。
とりあえず、第三者と話すときなら「ブラック」でいいだろう。
イギリス人の友人からも、そのことを確認した。
人種という考え方、そのものは悪くない。
人間を肌の色の違いによって分けることは、常識的でもある。
そのことは、前回書いた。
けれど、いろいろな人種のなかで、上下や優劣をつけてはいけない。
それでは人種差別になってしまう。
その最悪の例として、ナチス=ドイツによるホロコースト(ユダヤ人の大虐殺)がある。
これとは別で、人種に優劣の差をつけようとする考え方に「優生学」というものがある。
これは、人工的に「優秀な人種をつくる」というおそろしい考え方だ。
優生学や社会ダーウィニズムを極端なまでに政治的に利用した事例としてはナチズムがある。ナチスは優生学に基づき障害者を虐殺している。優生学的観点は近年まで日本の優生保護法にも反映されており、またスウェーデンでも犯罪者に断種手術を施すこともあった。
(ウィキペディア)
歴史をみてみると、ホロコーストまではひどくはないとしても、人種差別によって多くの人たちが苦しんでいたことがわかる。
そういうことから、人種について話をしたり人種という言葉を口にしたりすることを避けてしまうような空気ができてきたと思う。
特に日本でそんな雰囲気を感じる。
外国人と人種の話をすることはあっても、日本人の友だちとその話題で話すことはない。
日本人の友だちと人種の話をしようとしたことがあったけど、明らかにその話題を避けているし、人種という言葉を使うことさえ「いけないこと」という空気を感じた。
だから今では、日本人の友だちとは人種の話をしない。
「人種によって、人間は分類される」ということは、今の世界で現実にある。
それでも、人種というものをタブーにしたり「危険」と考えたりする空気が日本にはあると思う
首に輪っかをつけるというのは、人種ではなくて「民族」の問題
先ほども書いたけれど、今の世界で人種差別問題は現実に起きている。
そこで、ぜひみなさんに知ってもらい人種差別問題がある。
2016年11月28日の日経新聞に、ミャンマーのロヒンギャという人たちの記事があった。
ミャンマーで過酷な差別を受け、逃れてきた同国のイスラム教徒「ロヒンギャ」約200人が群馬県館林市で暮らしている。
アウン・サン・スー・チー氏が政権を握った後も続く軍などによる迫害は10月以降に深刻化、アジア各地で抗議デモが相次ぐ。「日本人にもロヒンギャのことを知ってほしい」。同市のロヒンギャは国際社会の支援を訴えている。
これを読んでいる方々は、このことをご存じでしたか?
ミャンマーで差別を受けて、苦しんでいたロヒンギャの人たちを日本が受け入れたこと。
ここに書いてあるように、彼らは今は群馬県にいること。
そして、ロヒンギャのことを日本人に知ってもらいと考えていること。
このロヒンギャの問題は、本当に複雑で理解することが大変。
でも、多くのミャンマー人がロヒンギャを憎む理由には、人種差別の要素が強くあることは間違いない。
国民の反ロヒンギャ感情は三つの部分から成る。ひとつはビルマの土着民と比較して彼らの肌の色が黒く、顔の彫りが深いという人種差別的な感情である。
民主化運動の指導者でノーベル平和賞を受賞したアウン・サン・スー・チーですら、このロヒンギャ問題は事実上「無視」している。
ボクはミャンマー旅行のときに、ビルマ族の人から話を聞いてこのロヒンギャのことを知った。
このロヒンギャの問題を知っていくうちに、これはとんでもない問題だとわかってきた。
さらに、日本に多くのロヒンギャの人たちがいるということで、個人的に関心をももった。
こうしたことで、この日経新聞の記事にあるように、できるだけ多くの日本の人たちにこのロヒンギャの問題を知ってもらいたいと思って、ここで人種差別問題の例として紹介した。
人種の話題に口を閉ざしたりそれを「いけないこと」と考えたりすることは、人種について知ることを拒否することになる。
つまり、人種や人種差別問題について知らないままでいるということ。
人種差別問題は、どのように拡大するか?
もちろん、これにはいろいろな理由がある。
けれど最大の要因は、人びとがそのことを知らないでいることだろう。
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