きょうを含めて、毎月7・8日は生パスタの日。
「な(7)まパ(8)スタ」というチカラ技のような語呂合わせで、この記念日ができたらしい。
でもって2週間ほどまえの8月24日は安土桃山時代の盗賊団のボス、日本で一番有名な泥棒と思われる石川五右衛門の命日だった。
豊臣秀吉が天下人だったころ、母親や子どもと一緒に五右衛門がこの日に処刑された。
ということでこの2つを合わせると、このレストランが出てくるのはもはや避けられない。
イタリアのパスタ料理を、日本人が美味しく食べられるよう工夫したのがこのお店。
有田焼のお皿に盛ったスパゲッティーをお盆に乗せて持ってきて、客は箸を使ってそれを食す。
そんな「五右衛門」にアメリカ人を連れて行ったことがある。
「オーマイガー!イタリア料理店なのに暖簾(のれん)があるじゃないか。店内もアメージングだよ!」と感激することはなかったけれど、彼は和の雰囲気やパスタの味は気に入ったようす。
食事中にそのアメリカ人から、「で、五右衛門ってのはどんな人物なんだ?」と聞かれたからこんな説明をした。
「彼は500年前にいた有名な泥棒でね、当時の警察に捕まったあと京都の三条河原で、たっぷりの水が入った大きな釜(かま)に入れられてゆで殺されたんだ。見せしめとして五右衛門の母親や子ども一緒に処刑された。この店は、それにちなんだ大きな五右衛門釜を使って麺をゆでているから、こんな店名になったらしい」
*当時の日本は、豊臣秀吉が朝鮮出兵を命じて全国の兵士が朝鮮半島に行ったことで、都市部の警備が手薄になっていた。
それをいいことに盗みを繰り返していた五右衛門は1594年、大胆にも秀吉がいた伏見城に忍び込んで「千鳥」という香炉を盗もうとした。が、バレて捕まったという。
このとき秀吉を暗殺するために忍び込んだという説もある。
三条河原に連行された五右衛門は、
「石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種は尽くまじ」
という有名な辞世の歌を詠んでこの世を去った。
貿易商として日本にいたスペイン人のペドロ・モレホンはこんな記録を残している。
「この事件は1594年の夏である。油で煮られたのは「Ixicava goyemon」とその家族9人ないしは10人であった。彼らは兵士のようななりをしていて10人か20人の者が磔になった」
わが子と一緒にゆで殺された。
このとき五右衛門は、
熱湯から子どもを守るため、両手で頭上に持ち上げた。
長時間苦しめたくないという親心から、子どもを熱湯に入れた。
釜の底がめちゃくちゃ熱かったから、思わず子どもを下敷きにした。
といった行動に出たという説がいまに伝わっている。
五右衛門はここ(浜松)で生まれたという話を交えながらアメリカ人にそんな話すると、「つまり店の看板の男は極悪人で、公開でゆで殺されたのか。なんでそんなヤツを店名やイメージキャラクターに使うんだ?そのセンスがよくわからない」と言う。
たしかに一気に首を切断する斬首刑と違って、釜茹ではヒトに最大級の苦しみを与える残酷な処刑だ。
中国でこれは重罪を犯した人間に対して行ったか、頭のおかしい権力者が”娯楽”として行った。
後漢も末の頃、董卓は何人もの役人を釜茹でに処した。釜の中で断末魔の叫びが上がる傍らで、董卓は平然と食事を続けたという。
「センスがわからない」と言われてみれば、確かに残酷な処刑と楽しい食事は矛盾している。
でも、そんなことを気にする日本人なんていないだろう。
と思ったら「ヤフー知恵袋」に、このアメリカ人と同じ理由で店名が気になって仕方ないという日本人を発見。
「いくら昔のこととはいえ、石川五右衛門の処刑方法(煮殺)と同じ調理方法で作ったということをアピールする感覚が分かりません。」
「創業者が何を考えてこの名前をつけたのかご存知の方は教えていただけないでしょうか。」
これに対するベストアンサーは、「あなたは普通の人より想像力豊かなのだと思います」。
まぁ嫌なら食うなと。
個人的に石川五右衛門には悪いイメージより、親しみや愛着とかのポジティブな印象が強いし、いまの日本ではバツグンの知名度と人気がある。
五右衛門は実在を疑われたこともある、歴史資料の少ないよく分からない人物だから、逆にいえば創作の余地はとても大きい。
それで江戸時代には浄瑠璃や歌舞伎の題材に取り上げられ、五右衛門は秀吉に反抗する反権力や義賊としと描かれ庶民の人気を得た。
京都の南禅寺で、「絶景かな、絶景かな。春の宵は値千両とは、小せえ、小せえ」と言うセリフはいまでも有名。
現代の日本人がイメージする石川五右衛門は、主にこうした創作物の影響によるもので、凶悪な窃盗犯という歴史上の五右衛門とは違う。
くわしいことは 石川五右衛門 をクリックだ。
「またつまらぬ物を斬ってしまった」の石川五ェ門は、この石川五右衛門から数えて第十三代の末裔という設定になっている。
原作者のモンキー・パンチがアメリカで現地の人から、日本の漫画なのにオリエンタルさが無いと言われたことがきっかけで、日本らしいキャラクターを考えて石川五ェ門が誕生したという。
日本らしさにこだわって生まれた「洋麺屋五右衛門」と発想は似ている。
ルパン三世のあとは、義賊のゴエモンをメインキャラとするコナミの「がんばれゴエモン」が大人気になってシリーズ化した。
こうした現代の日本人に愛される五右衛門のイメージは、江戸時代に作り上げられたものだ。
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