始めの一言
「愛くるしい日本国民の微笑、比類なき礼節、上品で果てしないお辞儀と明るく優美な表情には、はるかに心よさを覚えます。」(シドモア 明治時代)
今までいろいろな国に行ってきて、数えられないくらい、ぼられたりだまされたりしてきた。
「日本なら、どこでも誰でも定価で買えるのが当たり前」という甘い環境から、インドやエジプトのような「値段は、交渉で自分で決めるのが当たり前」という国に行けば当たり前のことだけど。
動物園で育った動物が、弱肉強食のジャングルに投げ入れられたようなものだから、苦労するのは仕方がない。
価格が500円くらいの物を「5000円だ」と、とんでもない言い値をふっかけてきたり、ボクを店の中に入れた途端に、入口の鍵を閉めて「買うまで外には出られない」と脅してきたりといろいろな目に会ってきた。
でも、腹が立って、目の前の相手を本気に殴ってやろうかと思ったのは、エジプトの旅でぼったくられたときしかない。
このときは、まだ海外旅行が2回目で谷の経験値がなかった。
それに、相手は、昔は「世界三大悪人」、今は「世界三大うざい国」の一つに挙げられるエジプト人だ。話のネタだけどね。実際には、良い人もたくさんいる。
こんなボクがエジプトを旅していたときは、沸点越えの連続だった。
海外では、交渉で値段を決めることはよくあることだとは聞いていたけど、「移動のためのバスに乗るときも、料金を交渉によって決めなくてはいけないことがある」というのを初めて体験したのは、エジプトだった。
ちなみに、「こんなものまで交渉で決めるの?」ということで、驚いたのは、マレーシアの両替所。
「この辺の両替屋は、レートも交渉できるところもありますよ。試してみる価値はあります」と宿の旅行者から話を聞いて、半信半疑で試してみた。
「あそこの両替屋のレートは~だったけど」と、両替屋に言うと、「分かった」とレートを下げてくれた。
「こんなことまで交渉できるんだ!」と、かなり驚いた。
こうなってくると、もう、日本は「定価文化」で海外は「交渉文化」なんだと思う。
さて、エジプト旅行の話。
エジプト旅行中に何回も腹が立つことがあったが、中でも一番許せなかったことは、エジプトのシナイ半島を旅していたときに起きたこと。
さっきも書いたけど、これが今までの自分史上最悪のぼったくりになる。
額の大きさじゃなくて、「腹立ち度」でね。
このときはシナイ半島にいて、「聖カタリナ寺院」の観光を終えて首都カイロに移動しようとしていた。
この聖カタリナ修道院というのが、不思議なところで、キリスト教の修道院なんだけど、中にはモスク(イスラム教の礼拝所)がある。
「キリスト教の教会の中にモスクがある」または「モスクの中に、キリスト教の礼拝所がある」というのは、他では聞いたことがない。
「聖カトリナ寺院の中」
そんな珍しい場所の観光を終えて、次の日の朝に、そこから数百キロ離れたカイロへ戻ろうとしたときのこと。
このときは、カイロまでの移動手段は「セルヴィス・タクシー」でというバス代わりの普通乗用車を使っていた。
このタクシー乗り場で、事は起きた。
エジプトでは物を買うときだけではなく、このセルヴィス・タクシーに乗るときも、乗車料金をドライバーとの交渉で決めなくてはいけない。
セルヴィス・タクシーは、ここでは、長距離バスのようなもの。
バスの料金でさえも、交渉次第で、高くもなれば低くもなる。
「こんなことまで、実力勝負で決まるのか」とウンザリしたけど、仕方がない。
外国では、外国のやり方に従わないといけないのは、当たり前のことだから。
「郷に入らば、郷に従え」という言葉が中国にあれば、「In Roma do as Roman(ローマでは、ローマ人のように行動しろ)」という言葉がヨーロッパにある。
このときのエジプトポンドでの正確な運賃は忘れたから、分かりやすく円で書く。
まず、ドライバーにカイロまでの料金を聞く。
「カイロまで、1500円だ」
と、ドライバーが言う。
これがドライバーの言い値で、当たり前のことだけど、言い値が「良い値」であるはずはない。
ここから値段を下げきゃいけない。
それまでのエジプト旅行での交渉の経験から、多分、適正料金はこの半分の7~800円くらいだろうと予想して、ドライバーと値段交渉に入る。
「高いよ、300円だろ」
「300円?何言ってんだよ、そんな料金だったら、こっちは死んじまうよ」
と自分の首を手で切るようなしぐさをする。
「OK。1000円でいい」
「それでも、高い。700円だろ」
「何言ってんだよ、ミスター。ここからカイロまでどれだけ離れていると思っているんだ?700円なんて、ムリに決まってるだろ」
と困った顔を見せる。というか、そういう顔をつくる。
これが、その交渉場所。
こんな車がセルヴィス・タクシー。
と、こんな交渉を10分くらいして、ようやく700円にまで値段を下げることができて、これで手を打つことにした。
もちろん、これは地元のエジプト人が払う料金と同じじゃないだろけどね。
現地料金に、いくらか上乗せした外国人料金だろうとは思っていた。
でも、ここまでの交渉がボクには限界で、あきらめた。
車の中に乗り込むと、白人が3人座っている。
そして、ボクの隣りにいた白人の女性がボクに聞く。
「あなたは、いくら払ったの?」
「いくらと言おうかな?」
と、一瞬悩んだ。
彼女がこう聞いてくるということは、この人もさっきのエジプト人と料金の交渉をしたということだろう。そして、自分が払った料金が適正なものかどうか気になる、と。
もし、ボクの払った800円以上を、彼女が払っていたら、気を悪くするかもしれない。
そんなことを心配しつつも、「800円」と正直に答える。
すると、「そう」と言って彼女が黙った。
今度は、ボクの方が気になってきた。
「あなたは、いくら払ったんですか?」と聞くと、彼女は「400円」と答える。
うわあ、あのドライバー、やってくれたなあ。
さっきのお金は、取り返さないと。
エジプト人に一度払ったお金を取り返すのは難しいとは思うけど、ここで何もしないとなると、日本男児がすたる。
続きは、次回に。
おまけ:エジプトという国名について
「エジプト」という国名はギリシア語。
昔むかし(紀元前2000年ごろ)エジプトは、外国から「フウト・カァ・プタハ(プタハ神の神殿)」と呼ばれていた。
この語がギリシア語で「アイギュプトス」と転訛し、それが「エジプト」の国名になっていったのである。
(地名の世界地図 文藝春秋)
エジプト人は「エジプト」とは言わずに、自分たちの国を「ミスル」と呼んでいるらしい。
ちなみに、「ピラミッド」という言葉もギリシア語。
さらに、首都の「カイロ」は、「勝利の都」という意味。これはギリシア語ではない。
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