さいきん韓国で、古代王朝・新羅の王城があった城壁の門の下から、「人身御供」にされたとみられる20代前後の女性の骨が見つかった。
同じ場所で2017年にも、4~5世紀に埋められたとみられる生贄(いけにえ)の男女2体の人骨が出てきている。
これが2、30年前に行われた儀式なら世界中に衝撃を与えるセンセーショナルな事件だけど、1000年以上前の世界では、神などへの最高の”ささげモノ”を人間と考え、そのために命を奪う儀式は世界中であった。
古代中国でも城壁をつくる際に、人身供犠を行って内部の結束を強めたという。
今回見つかった場所が城壁だったということで、新羅の王や王族は自分たちの住む建物をつくるときに、工事の無事を願い、広く国民を集め国家的儀式として行ったという見方が支配的だとか。
ハンギョレ新聞の記事(2021-09-18)
自分たちの住居である都の慶州の月城を囲む巨大な城壁を築く際、城門前の広い門跡で平民と奴婢たちを生贄にし、城壁が建つ場所の上で供え物として捧げる祭祀を民が見守る中で行った。人身御供は権力を誇示するために企画した祭典だったのだ。
「死のイベント」が開かれた…「人身御供」の上に築かれた新羅の権力
これは神聖な行事だったから、埋められる人間も名誉に思っていたと研究所や学界はみている。といっても、やっぱり少なくとも身内は悲しかっただろう。
中国皇帝が住んでいた紫禁城では重要な太和殿の下には賊の侵入を防ぐため、石材が敷き詰められているとガイドから聞いた。
紫禁城の建設でも人柱があったかも。
ちなみに写真は太和殿じゃなくて、紫禁城内にある別の建物。
重要な建物を建築するにあたって、ヒトを埋める人柱の儀式は日本でもあったことはまず間違いない。
史実はともかくとして、人柱の伝説は日本各地に残されている。特に城郭建築の時に、人柱が埋められたという伝説が伝わる城は甚だ多い。
大阪の淀川にかかっている長柄橋(ながらばし)には、有名な人柱伝説があるのをご存知だろうか。
むかしむかしの飛鳥時代、淀川はよくはん濫して橋をつくってももすぐ流れてしまった。
それで建築の関係者が困っていたところ、たまたま男が妻と子どもを連れて通りかかり、「袴(はかま)のほころびを白布でつづった人を、この橋の人柱にしたらうまくいくだろう」とつぶやく。
見るとそう言った男の袴こそ、まさにそんな状態。
それで男は捕まって橋工事のために生き埋めにされてしまう。
悲しんだ妻は「ものいへば父はながらの橋柱 なかずば雉もとらえざらまし」と言って淀川に身を投げた。
この悲しい人柱伝説が、いらないことを言って自分でピンチを招くことを意味する「キジも鳴かずば撃たれまい」という諺の由来になったという。
細かい内容は話によって違うけど、淀川の長柄橋にはこんな言い伝えがあるのは確かだ。
【なにわ八百八橋探訪:長柄橋】
橋の歴史は古く、多くの和歌に詠まれたほか、悲しい人柱伝説(「雉も鳴かずば撃たれまい」)があります。橋自体は時代により位置が異なりますが、川とともに発展してきた大阪(坂)らしい歴史ある橋で、付近には瀟洒な水道記念館もありますhttps://t.co/BbEQZFne7y pic.twitter.com/sVrezKfYpF— 大阪市広報 (@osakacity_koho) November 28, 2018
21世紀の韓国や日本では、こんな人身御供なんてあるワケない。
ただ日韓は自殺率が多いことで世界的に有名。
会社のために燃え尽きるまで働いて、過労死する人はどっちの社会にもいるし、これは現代の人柱と言えなくもない。
こちらの記事もどうぞ。
コメントを残す