島流しにされた後鳥羽院:強気→失意→悲しみ→魔王爆誕

 

島根県から60㎞ほど離れた日本海に隠岐諸島が浮かんでいて、「海士町」(あまちょう)はその中にある。
ことし2021年は海士町にとって超特別な年だから、こんなPR動画を作って公開したらしい。

 

 

いまから800年前、1221年に朝廷と鎌倉幕府が直接ぶつかった「承久の乱」がぼっ発。
長い日本の歴史のなかで、天皇側と将軍側が直接対決したのはこの一戦だけだから、承久の乱は本当に特別だ。
「天下分け目」といわれる関ヶ原の戦いの場合、豊臣が勝とうが徳川が勝とうがその後の武士による支配は変わらない。
でも承久の乱は違う。
もし朝廷側が勝てば武士の世の中は終わり、政治の権利を取り戻した天皇や貴族による統治が復活していたはずだ。
でも北条泰時率いる幕府軍が力でねじ伏せ勝利し、武家による日本の支配が確立する。

その一方で、乱の中心人物だった順徳上皇は新潟の佐渡島(さどがしま)、後鳥羽上皇は隠岐島(おきのしま)へ流された。
それが海士町長のいう「後鳥羽院遷幸八百年」になる。
それはいいんだが、なぜそのPRで黒人男性をキャスティングしたのか?
このとき後鳥羽院はいろいろな文化をいまの海士町に伝え、いまでもそれは受け継がれているという。

生まれ育った京都から離島へ流された後鳥羽院は、こんな恨みを残してこの世を去った。

「万一にもこの世の妄念にひかれて魔縁(魔物)となることがあれば、この世に災いをなすだろう。我が子孫が世を取ることがあれば、それは全て我が力によるものである。もし我が子孫が世を取ることあれば、我が菩提を弔うように」

このあと鎌倉幕府の重要人物である三浦義村や北条時房が亡くなったとき、当時の貴族はそれを後鳥羽院の怨霊のしわざと考えた。
後鳥羽上皇の生涯についてはこの記事をどうぞ。

【天皇家の家紋】菊の理由は、後鳥羽上皇の怨念を鎮めるため?

 

後鳥羽上皇

 

ではここから「後鳥羽院遷幸八百年」にちなんで、文人としての院について書いていこう。
新古今和歌集を編纂したことでも知られる後鳥羽院は、才能あふれる歌人で後世の日本に大きな影響を与えた。

鎌倉幕府との戦いを決めたころ、院はこんな歌を詠む。

「奥山の おどろが下も 踏みわけて 道ある世ぞと 人に知らせむ」

「おどろ」は「草木が乱れ茂っているところ」のことでこの場合は困難の意。

どんな困難があっても乗り越えて、正しい道(政治)があることを世の人々に知らせよう、という為政者としての決意がうかがえる。
でも結果は敗北&島流し。

そこで後鳥羽上皇が詠んだのがこの歌だ。

「我こそは 新島守りよ 隠岐の海の 荒き波風 こころしてふけ」

わたしこそが新しい島の守り(番人)だ。隠岐の海の荒々しい波風よ、これからは気を付けて吹くがいい。
といった意味と思われる。
強気な態度の裏に、院の深い悲しみを感じさせる句だ。

 

 

でも、きらびやかな宮中の生活から遠く離れたけれど「住めば都」ともいう。
田舎でのんびり過ごすことに慣れてくると、都での優雅な生活は、実はむなしいものだと後鳥羽院は気付くようになった。
…なんて展開はドラマだけで、院は京都へ戻りたくて仕方がなかった。
都を懐かしく思うこの歌には、寂しい気持ちがよく表れている。

「眺むれば 月やはありし 月ならぬ 我が身ぞもとの 春にかはれる」

眺めると月は以前と同じままなのに、自分だけが以前の春と変わってしまった。
小島でむなしく日々を過ごす、院の切なさがただよう一句。

この句にも、京都に戻りたいけどそれができない悔しさがある。

「ふるさとを 別れ路におふる 葛の葉の かぜは吹けども かへる世もなし」

 

もともと後鳥羽院は鎌倉幕府を倒して、自分が日本の支配者になるという壮大な野心を持っていた人で、島流しにされても、「我こそは新しい島の守りよ」と強気の姿勢を見せていた。
でも、京都に戻れないと分かるとしだいに意気消沈していき、深い悲しみはやがて大きな恨みに変わっていく。
そして最期は、「万一にもこの世の妄念にひかれて魔縁(魔物)となることがあれば、この世に災いをなすだろう」という呪いの言葉を残して怨霊となったというオチ。
海士町長の「後鳥羽院遷幸八百年」のイベントには、後鳥羽院を鎮魂する意味があるのかも。
最後まで分からないのはあのキャスティングだ。

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。