日本で夏の風物詩と言えば、なんつっても花火でしょ。
でもイギリス人に聞くと花火に夏のイメージはなく、新年を迎えた時や11月5日の「ガイ・フォークス・ナイト(Guy Fawkes Night)」が思い浮かぶという。
*このイベントの呼び方は他にも、「ガイ・フォークス・デー」や「ボンファイア・ナイト(Bonfire Night、焚火の夜)」などもある。
ガイ・フォークスが仲間とイギリス国王を爆殺しようと考えて計画・実行するも、直前にで見つかって処刑された。
それで毎年、ガイ・フォークス・ナイトの日はそれを記念して花火を打ち上げるという。
なるほど。
だがマテ。
なんで国王爆殺未遂という不吉な事件を祝うのか?
日本でいうなら、天皇を暗殺するようなオソロシイ計画のはずなのに。
ではここでこの事件の背景を見ていこう。
ガイ・フォークスが生まれ育ったころのイングランドは、1534年にローマ・カトリックから独立して成立した独自のキリスト教・イギリス国教会の影響が、日ましに強くなっていく過程にあった。
熱心なカトリック信者だったフォークスは当然、これが気に食わない。
それで彼はカトリックのグループに参加し、ウェストミンスター宮殿内にある議事堂を爆破して、国王ジェームズ1世のと政府要人を殺害する計画に関わるようになる。
しかしこの計画は事前に王側にもれていた。
日本では江戸幕府ができたころ(1603年)、1605年11月5日の深夜、王に探索を命じられた人間が議事堂の地下を捜索するとそこにガイ(やつ)がいた。
フォークスはパーシーから渡された時計と、導火線を手に前日夜遅くに地下室の持ち場についていた。深夜に入ってフォークスは地下室で発見、逮捕された。同時に薪と石炭で隠してあった火薬も発見された。
事件が見つかって、あえなく逮捕されるフォークス
「王殺し」はどこの国でも処刑不可避の大罪だ。
たとえ未遂であっても、処刑を免れることは普通はできない。
中国なら身体を刃物で少しずつ切り刻み、最大級の苦痛を与えたのちに殺害する恐怖の「凌遅刑」の対象になる。
大罪人のフォークスも首吊りの状態で身体を切り刻まれるはずだったけど、彼は絞首刑台から飛び降りて首の骨を折って死んだため、その苦痛を味わわずにすんだ。
でも死体は四つに裂かれて、裏切り者への警告として晒(さら)された。
この爆殺事件が失敗したことで、毎年11月5日は王が助かったことを感謝する日になって現在のガイ・フォークス・ナイトになる。
ちなみにこのガイ・フォークスにちなんで、英語のGUY(男、やつ)という言葉ができた。
日本でこれと似た事件となると、明治時代の大逆事件(幸徳事件)がある。
戦前の日本で天皇や皇后、皇太子に危害を加えたり、加えようとする罪を「大逆罪」という。
幸徳秋水らが計画したという天皇暗殺未遂事件は特に有名で、一般的に大逆事件といえばこれを指す。
1910(明治43)年、明治天皇の暗殺をたくらみ、信州で爆裂弾を製造し爆破実験をおこなった宮下太吉、管野スガ、新村忠雄、古河力作の4名が逮捕された。
このあと幸徳秋水を含め、計20人以上の社会主義者や無政府主義者が検挙される。
ただこの中で、誰がどこまで事件に関与していたかはハッキリしなかったため、これは当時の政府による社会主義者や無政府主義者への弾圧だったという面もある。
そして1911年1月18日に行われた裁判で24人に死刑判決がでて、同月24日に首謀者とされた幸徳秋水ら11人の死刑が執行された。
でもその直前の19日に、明治天皇の「お気持ち(仁慈)」によって12人が死刑から無期に減刑されたことは忘れてはいけない。
君主の暗殺事件を未遂に防ぐことができたということで、「ヒャッハー!」となって花火を打ち上げて祝うのがイギリス人。
明治天皇の命が守られたといっても、お祭り騒ぎをする発想は日本人にはない。
このへんの日英の価値観や感覚はまったく違う。
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