いま絶賛放送中のアニメがこの「最果てのパラディン」。
(まぁまだ見てないんですけどね)
「パラディン」とは昔のヨーロッパにいた地位の高い騎士のこと。
そうした現実の歴史とは離れて、日本のアニメやゲームでは「聖騎士」としてパラディンが出てくるらしい。
このアニメは異世界に転生した主人公が、生前は英雄だったスケルトンの剣士ブラッド、ミイラの神官マリー、ゴーストの魔法使いガスから、それぞれ武術、信仰、魔法を学んで成長していくという物語。
くわしいことはアニメを見てもらうとして、ここで取り上げたいのはメインキャラじゃなく、幽霊というかモンスターというか「この世の人ならざる存在」のほう。
というのはきょう12月20日だから。
「一本だたら」という怪異と出会って殺されたくなければ、この日は山に入るのはやめた方がいい。
一本だたら
画像:dominick.chen
むかしの日本人は一年の終わりの12月を「果ての月」、その月の20日を「果ての二十日」と呼んだ。
この時期はお世話になった人へのあいさつや大掃除、正月の準備なんかでめっちゃ忙しくなるワケだが、「果ての二十日」の日は外出をひかえて、家で静かに過ごすことになっていた。
その由来には、12月20日は京都で処刑が行われる日だったからとか諸説アリ。
いまもある一条戻橋は「果ての二十日」の日、処刑される人間が「次にこの世に戻ってくるときは真人間になれ」と言われたところで、太平洋戦争中には、兵士がこの橋を渡って出発すると無事に戻って来られるというウワサもあった。(果ての二十日)
和歌山と奈良にある果無山脈では、上の写真のような大きな目をもつ一本足の妖怪「一本だたら」が12月20日だけに現れるという話があって、「果ての二十日」は厄日として山に入ることははばかれた。
果無(はてなし)の由来についてはこんな説がオソロシイ説がある。
果無山脈にはある怪物が棲んでいた。その怪物はハテ(年末20日過ぎ)になると現れ、旅人を喰ったことから、峠越えをする者がなくなった(ナシ)という。ここからハテナシの名がついたという。
「最果てのパラディン」のガイコツ剣士、ミイラの神官、ゴーストは人に知識や技術を授けて成長させてくれるイイヤツらだけど、「果ての二十日」に出てくる一本だたらは人をおそって喰らう。
まさに対極だ。
いまの創作物に出てくる化物には「人間にやさしい系」がけっこう多い。
でも日本にいた怪異は本来的には人に危害を与えたり、時には人を殺して食べてしまうような存在で、恐れられたり畏れられたりして、忌み嫌われていたはず。
「この日は化け物が出るから山に入ってはいけない」という「果ての二十日」は、そんな日本人の価値観や考え方を思い出させてくれる日だ。
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