浜松市内の学校で英語を教えていて、日本の歴史や文化に興味があるという見どころのありそうなアメリカ人がいたから、一緒に京都旅行へ行くことになった。
で、その予定について話しているときに、「京都は明治時代が始まるまでの約1000年間、日本の首都だった都市で~」とボクが言うと、「チョット待ってくれ、江戸時代の日本の首都は江戸じゃないか?」と質問された。
話を聞くと、彼の頭の中にある江戸時代の日本はこんな感じ。
京都に天皇はいた。でも、彼は存在していただけで政治を動かすことはなく、江戸に住んでいた将軍が各地の大名の頂点にいて、全国を支配していた。だから徳川幕府のあった江戸が首都のはず。
まあ、わりと合ってる。
日本では天皇のいるところが首都という認識だけど、江戸時代の首都機能は政治の中心地である江戸にあったから、「事実上の首都」ということはできる。
そんな話から「そもそも幕府ってなんだ?」、「将軍と天皇の違いって?」とか聞かれて、四苦八苦しながら説明すると、「それはつまり、18世紀のイギリスの『(王は)君臨すれども統治せず』という状態だな」と彼は納得したようす。
ドイツ出身の国王ジョージ1世は英語が理解できず、イギリスの政治にはタッチしなかった。それで内閣が国政の責任を負う責任内閣制が発達していく。
この時代のイギリスと江戸時代の日本を重ねて、政治に関与しない王=天皇、政治を行った内閣=徳川幕府ととこのアメリカ人は理解した。
海外出身で、日本語を話せない天皇というのは日本の歴史ではありえない。
だから「君臨すれども統治せず」のイギリスとは前提が違うし、ツッコミどころもあったけど、英語でそれを指摘するのはボクじゃムリ。
でも本人はそれでスッキリしたようだし、「政治を行ってなくても、天皇のいるところが日本の首都!」ということも分かったようなので、京都旅行の計画を進めた。
辞書を見ると幕府は英語で「shogunate」といい、たとえば徳川幕府は「the Tokugawa shogunate 」になる。
将軍による政治なんて西洋社会ではなかったから、日本語を英語にするしかない。
ほかにも「Tokugawa government」という表現もあるから、これだと、外国人が徳川将軍のいる江戸を日本の首都とカン違いするのも無理はない。
こんな感じに、外国人には理解がむずかしい幕府なんてものが生まれたのはこの男が原因だ。
源頼朝の絵
…と言われてきたけど、近年では実は別人だという説もアリ。
古代の日本は中国から、漢字や仏教、律令などいろいろなものを学んで受け入れた。
といっても「中国のものなら全部良い」というワケでもなくて、取捨選択のフィルターにかけて、日本に必要なものを導入し、そうでないものは拒否。
たとえば、徳を失った皇帝は倒していいという「易姓革命」の考え方を日本は採用しなかった。
だからこの革命思想のあった中国では王朝がコロコロ変わったけど、日本の歴史では天皇が倒されて、まったく違う人間がその座について新しい王朝を開いたことは一度もない。
現在の天皇家が古代からずっと続いていて、日本が「世界最古の国」と呼ばれているのがその証拠。
易姓革命のなかった日本で生まれたのが、中国にはない「幕府」だ。
この言葉自体は中国語だけど、武家政権を意味する日本の幕府とは意味が違う。
歴史にくわしい中国人の日本語ガイドに、鎌倉幕府や徳川幕府と同じような組織が中国史であったか聞くと、彼は20世紀初頭の「軍閥」を挙げた。
いやいや、張作霖で有名な奉系(奉天派)などの軍閥と日本の幕府ではかなり違うような?
むしろそれなら、18世紀のイギリスの内閣のほうが近い気がする。
でもそのガイドが知る範囲では、日本の幕府に最も似ているのは軍閥しか思いつかないと言う。
源頼朝によって世界的にもユニークな政治組織が誕生したのは、836年前のきのう12月21日だった。かも。
1185年12月21日に頼朝が義経を捕まえるため、朝廷から日本各地に守護・地頭の設置を認める「文治の勅許(ぶんじのちょっきょ)」を得たことで、このときを鎌倉幕府の始まったという。
有名なのは頼朝が天皇から征夷大将軍に任命された1192年だけど、最近ではこのイイクニよりイイハコの方が有力視されている。
守護・地頭を置くことによって、頼朝の政権が全国の軍事権や警察権を握ったことになる。
守護・地頭の任命権を手に入れて、武士を支配するようになったことを考えれば鎌倉幕府の誕生は1185年でいいと思う。
細かいことを言えば、鎌倉幕府の成立年には1180年や1183年といった説もあるし、承久の乱で朝廷側に勝利した1221年を唱える人もいる。
中国やほかの国の歴史だったら皇帝を倒した人間が新しい時代を開くところ、日本はそうではなく、頼朝は天皇を尊重して自分はその下の地位のまま幕府を開いた。
もっとも頼朝には、まだ天皇や朝廷を倒すほどの力はなかったかもしれない。
とにかくそれ以後、将軍を中心とする武家政権が政治の権利を握り、全国を統治するシステムは江戸時代になっても続くことになる。
日本の天皇と将軍のような関係や幕府のような政府は海外にはなかったから、冒頭のアメリカ人のように誤解するのも仕方ない。
日本にあるていどの関心や知識のある外国人から、幕府の中身や将軍と天皇の違いについて聞かれることがたまにある。
そしてそれを説明すると大抵の場合、「なるほど!それはつまり、イギリスの『君臨すれども統治せず』だな」で終わる。
日本にしかないものを理解してもらうのは本当にむずかしい。
ちなみに、いつ鎌倉幕府が誕生したかを外国人へ伝えるなら「12世紀(12世紀後半)」だけで十分と思う。
1192年とか1185年とか正確でくわしい説明をするより、大まかなでシンプルな情報を示した方がわかりやすい。
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> 「それはつまり、18世紀のイギリスの『(王は)君臨すれども統治せず』という状態だな」と彼は納得したようす。
> この時代のイギリスと江戸時代の日本を重ねて、政治に関与しない王=天皇、政治を行った内閣=徳川幕府ととこのアメリカ人は理解した。
だいたいその解釈で概ね合っていると思いますが、より正確に表現すれば、鎌倉時代の初期及び室町時代は「(天皇が)君臨すれども統治できず」であり、その間の後醍醐天皇による建武の新政は「君臨したけど統治し切れず」だったのでは。
幕府は、もともと、「幕を張った中で執政する武士の戦時中臨時政府」ですから、その中国人の言う「軍閥政権」という考えも、(少なくとも幕府の初期時点では)まあ、概ねその通りです。
他国と日本との大きな違いは、他の大多数の国では、もともと武家の地方政権だったのが全国統一できるほど力を持つと、それまでの統治機構のトップは追放されるか殺されてしまう、つまり革命やクーデターになるのが普通であるということでしょうね。