前回、韓国にも除夜の鐘をつくという風習があることを紹介した。
そのときに感じた疑問はこれ。
「日本の除夜の鐘は、韓国(朝鮮)から伝わったのか?」
それだと、除夜の鐘は韓国起源ということにある。
もちろん大切なことは事実だから、どちらが起源かはどうでもいい。
それとも逆に、除夜の鐘は日本から韓国に伝わった風習なのだろうか?
気になって調べてみた。
結論からいうと除夜の鐘をつくというのは、中国(宋)で生まれて日本に来て、日本から韓国に伝わった風習だった。
まず、今の世界で除夜の鐘を鳴らすのは日本だけらしい。
除夜の鐘
除夜 (大みそかの夜) の夜半に諸寺でつく鐘。人がもつという百八煩悩を救うため 108点の鐘をつき鳴らす。こうした風習は日本だけという。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
でも、除夜の鐘の始まりは中国の宋の時代だという。
除夜の鐘
12月31日(旧暦30日)大晦日(おおみそか)の夜半から元日にかけて、寺院で梵鐘(ぼんしょう)を108回つくこと。百八の鐘ともいう。中国宋(そう)代から始まったとされる。
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
中国で生まれた除夜の鐘をつくという風習は今の中国からはなくなって、日本にだけ残っているということなんだろう。
そもそも宋の時代におこなわれた除夜の鐘は、今の日本の除夜の鐘と別のものだったと思う。
ちなみに、鎌倉文化は宋の影響を強く受けている。
お茶を飲む習慣が日本に伝わったのも、日本初の禅専門道場である建長寺が開かれたのも宋の時代だ。
伽藍配置は中国式であり、寺内では日常的に中国語が使われていたという。
(建長寺 ウィキペディア)
このあと禅宗は日本全国へと広がっていく。
では、韓国の除夜の鐘はいつ始まったのか?
中日新聞の「韓国の魅力」というコラムにそのことが書いてある。
韓国では毎年1月1日0時になるとソウルの普信閣で、「33回」除夜の鐘をつき鳴らして新年を知らせます。
記録によれば、朝鮮時代には毎日夜10時になると鐘を28回ついて城門を閉じ、午前4時になると鐘を33回ついて城門を開けました。
この時代では「除夜の鐘」という概念はなく、民の「通行禁止」を知らせるための「時刻表示」の役割だったのです。
もともと朝鮮王朝時代には、除夜の鐘をつくという風習はなかった。
でも、ソウルの城門を開く合図として、「普信閣」の鐘をたたくことはおこなわれていた。
これが今の韓国の除夜の鐘になったのは、日本の影響と書いてある。
記録では、普信閣の打鐘は日本によって進められた「甲午改革」後には廃止されて、1895年からは鳴らない。一方、日本の植民地時代では、ソウルの南山にある日本のお寺で「除夜の鐘」をつき鳴らしていました。
除夜の鐘に普信閣の鐘をつき始めたのは、日本からの独立後、6•25動乱(韓国戦争)という悲劇を経て訪れた平和の年、1953年からだそうです。近代的な歳時風俗の一つとして定着した「除夜の鐘」を鳴らす韓国の現在の風習は、日本から伝わったとされています。
ということは韓国起源ではなくて日本由来、つまり日帝残滓(にっていざんし)だったのか。
「残滓」とは文字通り「残り滓(かす)としての捨て去るべき廃棄物」や「屑」という意味であり非常に差別的なニュアンスを含むが、主として韓国ではマスコミや日常会話でも使われるポピュラーな言葉であり、多くが日本由来の文物に対しての一方的な人種差別的な揶揄と排斥の意味で使われる。
(ウィキペディア)
韓国は日本の統治時代をとても嫌っている。
これはその時代に建てられたソウル市庁。
だから韓国が独立した後、その時代に日本から伝わった言葉や習慣、建物などを韓国からなくそうという運動があった。
今もある。
「韓国の社会から日帝残滓をなくす」という運動の具体例には、「国民学校」を「小学校」に変えたというものがある。
「国民学校」は日本の統治時代の呼び方だから、韓国としてはこの日本語を使いたくない。
それで、「小学校」と呼び方を変えた。
今の除夜の鐘は、韓国人が嫌う日帝残滓だけどなくさなくていいのかなあ?
なんて意地悪なことを言うつもりはない。
鐘をつく回数が33回というのは、日本の除夜の鐘とは違っている。
これは、城門を開くときに普信閣の鐘を33回ついていたことに由来している。
だから、韓国での除夜の鐘は「日帝残滓と朝鮮時代のミックス」ということになる。
先ほどのコラムでは、「33」という数についてこのように書いてある。
仏教では、この世の中心である須弥山には「33天」があり、そこには帝釈天をtopに「33の神々」が住んでいるとされています。仏教において「33」という数はとても重要な意味をもつのです。
ソウルの城門が開かれるときに普信閣の鐘を33回たたいたのは、この仏教の考えによるものかはわからない。
でも、33という数字は仏教では大事な数字なのは確か。
京都の三十三間堂も、「33」だ。
その理由について、三十三間堂のホームページにこんな説明がある。
正式名は、蓮華王院で、その本堂が「三十三間堂」と通称されます。これは、東面して、南北にのびるお堂内陣の柱間が33もあるという建築的な特徴によります。「三十三」という数は、観音菩薩の変化身三十三身にもとづく数を表しています。
ということで、韓国の除夜の鐘をつくという風習は日本から伝わったものだった。
でも、108回つくという日本の除夜の鐘とは違う。
だから、「人がもつという百八煩悩を救うため 108点の鐘をつき鳴らす。こうした風習は日本だけという」という先ほどの記述は正しいのだろう。
韓国の除夜の鐘は、仏教にはほんとんど関係ない「カウントダウンのイベント」という感じ。
ソウルナビには、「韓国人にとっての除夜の鐘」についてこんな説明がある。
この鐘の音を聞くという儀式は、希望に満ちた新年を迎えようという、韓国人にとってはとっても重要な儀式。
(普信閣)
その後に花火大会になってしまうことも、日本の除夜の鐘とは違う。
韓国の場合は、仏教の考えから離れているし伝統文化でもない。
国民が楽しむ年末の大イベントだ。
ソウルナビによると、ソウルで最大のカウントダウンのイベントはこの普信閣(ポシンガッ)のものらしい。
普信閣(ポシンガッ)でのカウントダウンイベント!(12/31-1/1)
12月31日の大晦日に鍾路(チョンノ)の普信閣(ポシンガッ)で毎年行われる年越しカウントダウンイベント。普信閣前にステージが設置され除夜の鐘もココで鳴らされます。ソウルのカウントダウンイベントでは最も大規模。
毎年大変な人出になるので、盗難やケガに注意しましょう。カウントダウンの後は、鍾路のメインストリートで打ち上げ花火が乱舞。
このイベントに備え、31日の午後10時半ころからはメインストリートは通行止めに、また1月1日(31日の深夜)には地下鉄の運行時間が午前2時頃まで延長されます。
ソウルで最大規模ということは、韓国で最大規模ということだろう。
ニューヨークのタイムズスクエアのようなものかな?
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