イギリスの歴史の年号で覚えているのは「1066年」。
これはまだ現代のような明確な国境や、国民という概念もなかった遠い昔の話。
フランスからノルマンディー公ギヨーム2世が軍隊を引き連れて、「ドドドっ」という勢いでブリテン島(イギリス)にやって来て、「どぉりゃああ~」とヘイスティングズの戦いでイングランド国王ハロルド2世を破り、自分がウィリアム1世(征服王)として即位してノルマン朝を始めた。
これでギヨーム2世はフランス王の臣下ありながら、イングランド王を兼ねるという複雑な事態になる。
このノルマン・コンクエスト(ノルマン征服)があった1066年を、「入れよ無理やりノルマンへ」と予備校でならってなぜか今も頭に残ってる。
イギリス史においてこの出来事は超大事だから、「1066年」はけっこう知られているらしい。
英仏の関係はわりとフレンドリーで、「このカエル野郎!」、「何だと、ローストビーフがっ!」とののしり合うほどだ。(ネタを含めて)
知人のイギリス人に聞くと、フランスへの悪感情が生まれる原因の一つに1066年の“侵略”と征服がある。
もちろんこれはイギリス視点。
豊臣秀吉の朝鮮出兵を韓国では「朝鮮侵略」と表現するように、フランスでは別の表現をするはずだ。単に「征服」だけかも。
とにかく国王を殺されてフランス人に統治されることになったのだから、イギリス人(イングランド人)にとってノルマン征服は屈辱的だ。
イングランドの宮中で使われていた言葉はフランス語だったから、この支配者の言語に由来する「ポーク」や「ビーフ」などたくさんの英語も爆誕した。
フランスの一貴族がイギリス国王を兼ねている。
現在ではあり得ないそんな状況に起因して、語感だけなら物置みたいな百年戦争(Hundred Years’ War:1339~1453)が始まった。
これは高校世界史のマストだ。
1世紀にわたる中世末期のイギリスとフランスの抗争。
当初はイギリス軍が優勢であったが、ペストの流行や農民反乱などでたがいに疲弊し、最終的にはフランスが勝利した。
両国とも封建諸侯の力が後退し、中央集権化が進んだ。「世界史用語集 (山川出版)」
これはフランスの王位継承をめぐって、
「フランスのヴァロワ朝 vs イギリスのプランタジネット朝&ランカスター朝(プランタジネット朝の分家)」
という構図で争われたもの。
登場するのは全部フランスの王朝だから、百年戦争は英仏の国際戦争というよりフランスの内戦といった方が実態に近い。
きょう1月19日は1419年に、この戦争でイングランド王ヘンリー5世がフランス北岸のルーアンを陥落した日。
でも結果は上の説明のように、はじめはイギリス優勢だったけど、ペストの流行や農民反乱、さらにはジャンヌ・ダルクというチート能力を持ったような奇跡の少女が現れて、最終的にはフランスが勝利する。
この戦争の敗北によって、プランタジネット朝はフランスを”捨てて”、イギリス統治に専念することにした。
イギリス人的にはこれはラッキーだったらしい。
プラタジネット家の王たちは約100年もかけてフランスを支配しようとした(このため「百年戦争」と呼ばれる)。
おかしな言い方だが、プラタジネット家がこの戦争に敗れたことはイングランドにとって幸運だった。
これ以来、プランタジネット家はフランスに色目を見せず、自分たちの仕事はイングランドを治めることだと割り切ったからだ。「「イギリス社会」入門 (NHK出版新書) コリン・ジョイス」
1066年にフランス貴族のギヨーム2世がイギリス国王ウィリアム1世になって王朝を始めてから、イギリスとフランスが入り混じり、1453年に百年戦争が終わったことで英仏混交の状態に終止符が打たれ、現在の国境線やイギリス人・フランス人というアイデンティティー(国民の概念)が生まれた。
だからこの戦争の終結がイギリスとフランスの誕生日ということになる。
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