日本初の文部大臣で、商法講習所(いまの一橋大学)の設立者。
戦前の日本の教育制度を確立し、明治六大教育家の一人に数えられる人物が森 有礼(もり ありのり)。
日本の「教育の父」と言っていいレベルの森は、1889年(明治22年)のきょう2月11日に刺されて亡くなった。
合掌。
犯人は西野 文太郎という国粋主義者で、日本という国を愛して心酔していた西野には、どうしてもガマンできなかった森の振る舞いがあった。
それは明治20年(1887年)に新聞が報じたことで、伊勢神宮を訪れた“ある大臣”が土足厳禁の拝殿に靴を履いたまま上がり、社殿にあった御簾(みす)をステッキで上にあげて中をのぞき込んだという。
欧米化していく社会には批判的で、日本の文化や伝統を大事にするナショナリスト(国粋主義者)にとって、天皇の先祖神であるアマテラスをまつる伊勢神宮で、ここまで無礼な大臣を見過ごすわけにはいかない。
伊勢神宮でこんな不敬をはたらいた大臣と聞いて、多くの人の頭に浮かんだのは文部大臣の森有礼だった。
森は欧米の文化や文明を積極的に日本へ取り入れていて、国粋主義者からは目の仇とされていた。
事前に「それぞれが妻、夫であること」を確認した、日本で初めての西洋式の契約結婚をしたのが森で(福沢諭吉が証人)、さらに彼は英語を日本の国語にしようと考えた。(国語外国語化論)
*ちなみに志賀直哉はフランス語を日本の国語にしようと主張する。
現在の日本人の感覚でも契約結婚はいいとしても、日本語を廃止しようとする日本人がいたら、ネットで「国賊が!」、「〇ねよカス」とかぶっ叩かれるのは必至。
こんな「前科」があったから、伊勢神宮を冒とくした大臣は森有礼に違いないと西野 文太郎は考えて、自分が”天誅”を下すことにする。
そして明治22年(1889年)2月11日の大日本帝国憲法が公布される日、その式典に参加するために森が官邸を出たところ、西野が現れて短刀で森の腹を刺す。その傷は深く、翌日の午前5時に森有礼は43歳でこの世を去った。
西野も森の護衛に斬られて死亡。
「天皇を頂く我が国の基礎を破壊し、我が国を亡滅に陥れようとした」というのが西野が犯行に及んだ動機だ。
ただ「不敬事件」については、森が伊勢神宮に土足で上がったり、御簾をステッキで上げたかどうかは分かっていない。
森有礼は無実だったにもかかわらず、ウワサが先走って暗殺された可能性もあるからカワイソス。
日本人にとって伊勢神宮は特別で格別で別格だ。
1933年(昭和8年)に来日して、伊勢神宮を見たドイツの世界的建築家ブルーノ・タウトはこう称賛する。
いわば稲田の作事小屋や農家の結晶であり、真の『神殿』すなわち国土とその大地の精髄(せいずい)の安置所なのである。国民はそれを国民の最高の象徴として崇拝する
「ニッポン (講談社学術文庫)」
いまの日本人も伊勢神宮には最高の敬意を持っている。
だから、その聖域に土足で踏み込んだ大臣がいたら、全国民が激怒して、刺されることはないとしても大臣の辞任は避けられない。
ではイスラム教はどうか?
森 有礼
ここ数年、コロナの前までは、日本へ来るムスリム(イスラム教徒)は急増していた。
となるとこのビッグウェーブをビジネスチャンスと考えて、豚肉やアルコールのないハラールフードを用意するレストランも次々と出てくる。
ムスリムの「おもてなし」で重要なことは、礼拝所を用意すること。
彼らは基本的には1日に5回、決められた時間に、メッカへ向かってひざまずいてお祈りをしないといけない。
これは信者の義務。
だから以前、富士山に向かって高速道路を走っているとき、「すみませんけど、そろそろ礼拝の時間なので…」と言い出すムスリムがいて、そのためにサービスエリアに寄ったこともあった。
そんなムスリムのために、東京駅に礼拝所がつくられたのはもう5年も前のこと。
東京駅にイスラム教徒の祈祷室(祈りの部屋)が。注目点はここ。
遊園地やショッピングモールなどにも礼拝スペースがつくられていったから、正直イスラム教に抵抗を感じる日本人は多いと思うけど、それでも礼拝所は全国に増えていった。
でも、伊勢神宮という越えられない一線があった。
伊勢神宮に来るイスラム教徒が増えていたことから、伊勢市が4年前に「観光案内所の一部を改修して、イスラム教徒が礼拝できるスペースをつくります」と発表する。
すると電話やメールで反対や抗議が殺到し、一週間ほどでこの話はなくなってしまう。
伊勢新聞の記事(2018-03-09)
伊勢神宮など市内の他機関にも問い合わせがあり「市民に迷惑を掛けられない」と判断。多目的室は予定通り設置し、授乳室などとして使う。
「伊勢市 観光案内所に設置予定の多目的室 ムスリム礼拝所には使用せず 苦情殺到で方針転換 三重」
このとき「伊勢神宮の近くにムスリム礼拝所をつくる」という話を聞いて、土足で聖域に侵入されるような感覚を持った人が多かったと思う。
でも、そこは「礼拝もできる多目的ホール」で授乳もできるし、ムスリム専用の場所ではない。
にもかかわらず、当時はそんな誤解が広がって、なかには伊勢神宮のすぐ近くにモスクを建設するというカン違いをしてネットに書き込む人もけっこういた。
いまから考えたら、こんな誤解で計画がつぶれたというのは、伊勢神宮への「不敬」というウワサで殺害された森有礼と重なる部分もある。
誤解ならまだいい。
このときはどうみてもイスラム教が嫌いで、ヘイトを煽っているような書き込むも多々あった。
個人的には、礼拝もできる多目的ホールにはまったく問題はないと思うけど、市民の理解が得られなかったのなら仕方がない。
反対を押し切ってつくったあとに、脅迫のメールや電話がきたら仕事にならない。
イスラム礼拝所について「東京駅ならOKでも、伊勢神宮はダメ」という反応をみると、無宗教を自称する日本人でも、そこは「国民の最高の象徴として崇拝する」という心を持っていることが分かる。
伊勢神宮は礼拝所に反対していなかったし、そのことで「天皇を頂く我が国の基礎を破壊し、我が国を亡滅に陥れる」ということはあり得ないのだが。
移民毎年20万人受け入れ? 多文化共生社会を考えましょ「目次」
> 誤解ならまだいい。
> このときはどうみてもイスラム教が嫌いで、ヘイトを煽っているような書き込むも多々あった。
> 個人的には、礼拝もできる多目的ホールにはまったく問題はないと思うけど、市民の理解が得られなかったのなら仕方がない。
ははは、実に馬鹿げた考え方であり、ひねくれた主張ですね。
宗教や文化のあり方については「自国民尊重と相互主義」が優先でしょう。もしも、彼らイスラム教徒の礼拝所(イスラム寺院)の中に、日本人のために神社を作ると言ったら、鳥居を建てるとしたら、狛犬を置くとしたら、賽銭箱を置くとしたら、他の用途があってもそれをイスラム教徒たちが許すと思いますか?
そんなことをすれば、おそらく、もっとひどい書き込みがなされるどころか暴力沙汰は間違いないですよ。
>宗教や文化のあり方については「自国民尊重と相互主義」が優先でしょう。
この根拠は何でしょう。
伊勢神宮の中に礼拝所をつくるわけではありません。それは全くの別問題です。
<<< 森 有礼
三島由紀夫「日本人には威張り、外国人にはヘイコラするというのが、明治(建国)初年の通訳から、戦後占領時代の一部日本人にいたる伝統的な精神態度でありました。 これが一ぺん裏返しになると、外国人を野獣視し、米鬼撃滅のごとき、ヒステリックな症状を呈し、日本を世界の中心、絶対不敗の神の国と考える妄想に発展します。
外国人と自然な態度で付き合うということが、日本人にはもっともむつかしいものらしい。 これが都市のインテリほどむつかしいので、農村や漁村では、かえって気楽にめづらしがって、外国人を迎え入れます。」
出典:「不道徳教育講座」(1960年)