【北海道の由来】中華思想の蝦夷を改名、昔は3県ありました

 

日本最北端の地、北海道には独自の特徴がある。
まずは言葉で本土出身の人が生活を初めると、「は?」となるような意味不明な方言でに出会うという。例えばこんなん。

・「~さる」
これは「~してしまう」の意味だから、「これは食べらさる」は「食べてしまう」になる。

・「したっけねー」
別れの言葉で、道民は「したっけねー」(バイバイ・さよなら)と言って手を振る。

・「ばくる」
AとBを「交換する」することをこう言う。
「(それと)交換しようよ」が北海道では「ばくろーよ」。

北海道にはアイヌ語に由来する地名も多いから、「音威子府、北一已、安足間、雄信内」なんて静岡出身のワイにはさっぱり読めん。
くわしいことはクリック。

【日本とアメリカ】先住民に由来する州名・北海道の地名

ではこれから、そんなデッカイドーの「北海道」の由来や歴史について書いていこう。

 

1869(明治2)年に日本政府が、「これからは蝦夷(えぞ)地じゃなくて、北海道って呼びますよー」と言って(太政官布告)、北海道の地名が日本に定着していく。
この改名の理由には、言葉が日本人に与える心理的影響があったのだ。

古代中国には自国を地上最高の文明国(中華)とし、その周辺にある国を「未開人の住むところ」とする上から目線の見方があった。
それで東西南北にある国を東夷(とうい)・西戎(せいじゅう)・北狄(ほくて き)・南蛮(なんばん)とかなり侮蔑的な言い方をする。
これらはすべて、「文明の光が届かない野蛮な地」といった意味だ。
こんな中華思想を昔の日本も採用して、異民族の住む東北や北海道を「蝦夷」(えぞ)と呼んだ。
*夷(えびす)とは東方の未開人の意で、蝦には「虫」があるから、この言葉が侮辱的であることは想像できるはず。

でも、江戸時代の末期には「蝦夷の名称は変えるべきじゃね?」という意見があって、明治になってから正式に「北海道」に改名された。
これは幕末の探検家・松浦武 四郎が名付けたとされる。
明治2年に松浦が新名称に関する意見書を提出したとき、「日高見・北加伊・海北・海島・東北・千島」の6つの候補をあげた。
この中の北加伊(ほっかい)の「加伊」を「海」に変え、それに行政区画名の「道」をくっつけて北海道が爆誕したという。
「加 伊」とは「夷人」のことでネガティブな意味があったらしい。

 

北海道の「道」も古代中国の考え方による。
国内を大きく「」という地域(行政区分)に分けた中国にならって、日本も7世紀の天武朝のころに下の五畿七道(ごきしちどう)が成立した。

畿(みやこ)に近い大和、山城、摂津、河内、和泉の5カ国
それ以外の東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道の7道

だからこの「道」ってのは広い地域を表す言葉であって、「みち」のことじゃない。
この東海道と、五街道のひとつで江戸と京都を結ぶ東海道はまったくの別ものだ。
*五街道はほかに中山道・日光道中・奥州道中・甲州道中がある。

五畿七道の東海道は現在の茨城、千葉、埼玉、東京、神奈川、山梨、静岡、愛知、三重を含むかなり広い範囲を指す。
北海道にも明治時代には、函館県・札幌県・根室県の3つの県があったんだが、役人が無駄に多くて非効率だといった批判が上がったことで、それ3県をひとまとめにして「北海道庁」が設置された。単一の行政区域としての「北海道」の始まりだ。
3つの県が合体したのだからデッカイドーは当然だった。

ということで中華思想による「蝦夷」から、「北海・道」になった由来や経緯がおわかりいただけただろうか。

*参照:北海道の公式ホームページ「北海道の名前について

ちなみに中国起源の行政区分の「道」は、北海道のほかにも韓国で採用されている。
朝鮮時代には朝鮮半島を8つの道に分けた朝鮮八道があって、「八道」で朝鮮全土を意味することもあった。
現在の京畿道・忠清北道・全羅北道などの13道は日本統治時代に成立したもの。
日本統治時代の朝鮮の行政区画

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。