【最初の地上戦・硫黄島の戦い】激戦から生まれた日米の友情 

 

ほんじつ2月23日は全国的には「天皇誕生日」の祝日で、ちょっとしたところでは「つつみ(2・2・3)」で「ふろしきの日」。
日米の歴史や友好にとって重要なのは、太平洋戦争中の1945年のこの日、硫黄島の戦いで激戦を制した米軍が星条旗を掲揚したことだ。

それを写した報道写真は世界的にも有名で、平洋戦争を象徴するシーンとして「硫黄島の星条旗」という単語まで生まれた。
これが1945年2月23日のその瞬間。

 

 

 

アメリカにとっては輝かしい瞬間だから、切手のデザインになるのも納得。

 

いまは東京都硫黄島村に属する硫黄島は、1945年の2~3月は約6万の米軍と2万の日本軍が激突し、あちらこちらに死体がころがる地獄島だった。
このときの兵力は日本軍が約2万1千人に対して、米軍は約6万~7万人(上陸部隊)と圧倒的な差で残酷な未来しか見えない。

*ウィキペデアには上陸部隊の人数は111,308人とあって、米軍の兵力についてはサイトによって違うからヨクワカラン。

硫黄島を守る栗林中将は考えられる最高で鉄壁の陣地を築き、全施設を地中で結ぶ全長18kmの地下道もつくって米軍を待ち構えた。
その防御態勢は完璧に近く、米上陸部隊の指揮官であるスミス海兵中将もこう称賛するほど。

「栗林の地上配備は私が第一次世界大戦中にフランスで見たいかなる配備より遥かに優れていた。また観戦者の話によれば、第二次世界大戦におけるドイツ国防軍の配備をも凌いでいた。」

 

栗林中将は以下の内容の『敢闘ノ誓』を読ませて全軍の士気を高める。

一 我等ハ全力ヲ奮テ本島ヲ守リ抜カン
一 我等ハ爆薬ヲ抱イテ敵戦車ニブツカリ之ヲ粉砕セン
一 我等ハ挺進敵中ニ斬込ミ敵ヲ皆殺シニセン

 

栗林中将が配布した『敢闘ノ誓』のビラ

 

最高の準備を整え、命を省みない日本兵と米上陸部隊が激突した結果、日本軍には約2万、米軍は約2万5~9千人の死傷者が出る。
太平洋戦争で米軍が反転攻勢に出てから、米軍の損害が日本軍を上回った唯一の地上戦がこの硫黄島の戦いだ。
ただ米軍の戦死者の数は約7千に対し、日本軍はほぼ全滅(約1万7千~2万人)だったから受けたダメージは日本の方が圧倒的に大きい。

 

戦争で犠牲になった人たちのために、慰霊の儀式を開くことは世界中にある。
でもこの戦いは特別で、かつて敵として殺し合った日米が、いまでは対等な立場で一緒に犠牲者を追悼しているのだ。

1985年(昭和60年)2月19日、硫黄島において、日米双方の元軍人・退役軍人ら400名による合同慰霊祭が行われた。かつて敵として戦った双方の参加者たちは互いに歩み寄り、抱き合って涙を流したという。

硫黄島の戦い

 

日米の友好と恒久平和を祈念するために、日米が共にこの戦いの犠牲者を慰霊したと、外務省ホームページにも書いてある。

日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式の開催

 

敵味方に関係なく、全力で戦って亡くなった人の魂には敬意を示し、両国の友好と平和を願うという点で日米は完全に一致している。
不幸な過去を乗りこえて、現在の友好や平和な未来を誓うきっかけにすることは日本とアメリカでよく見られる。
2016年にアメリカの大統領として初めてオバマ大統領が広島を訪れて、原爆被害者に花輪を捧げて涙を流す被ばく者を抱きしめた。
日本人にはこれで十分。
原爆投下についての謝罪がなかったことに怒る人なんて、見たことも聞いたこともなし。
このときの様子は世界を感動させた。

イギリスBBC(2016年5月27日)

オバマ米大統領、広島で献花 被爆者の手を握り、抱き寄せ

オバマ大統領は、「いかにかつての敵国同士が単なるパートナーというだけでなく、最高の友達になれるか」をこの訪問で示したかったという。
硫黄島の戦いや原爆投下という過去はもう変えられない。
だからいまはそれをどう理解して、これからの教訓にしていくかが重要になる。
それに成功すれば友好や平和の礎になるし、失敗すれば現在の人間に憎悪や恨みを抱かせることになる。
過去のふり返り方はホント大切だ。

 

 

 

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3 件のコメント

  • 残酷な戦争でしたが、お互いを理解し、未来を見つめる姿は、両国が世界の先進国としての資格を持っていることを示しています。

  • 日韓で三・一運動の記念式典を開いて、いまは平等の立場で双方の犠牲者に頭を下げる機会があるといいのですが、まあ無理ですね。

  • 韓日両国が3·1運動の記念式をともに行い、お互いを許し、理解し合う場が設けられるということは、想像するだけでも胸がときめく場面です。必ずそんな日が来ることを祈ります。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。