北京を旅行していたとき、現地の日本語ガイドからこんな質問をされた。
「あなたは中国で最後の皇帝を知ってますか?」
いやいやいや。
高校時代には世界史が大好物で、ボクの中国史の知識の片鱗はそれまでの会話で見せたはずじゃないですか。
中国最後の王朝は清朝で、その最後の皇帝は溥儀(ふぎ)だから、ラストエンペラーは彼に決まってる。
なんなら溥儀が死ぬ間際に、チキンラーメンを食べたいと言ったことも知ってますが?
そう答えると、「って思うじゃないですかー?でも実は違うんです。」とニヤニヤしながらガイドに言われた。
いやいや。
わずか2歳で皇帝に即位した溥儀(向かって右)じゃないとしたら、中国の歴史で最後の皇帝は一体だれなのか?
「それは袁世凱です。」とガイドはキメ顔でそう言った。
その性格の悪そうなガイドがラストエンペラーを溥儀ではなく、袁世凱と主張する根拠はこんなものだった。
・袁世凱は中華帝国という国をつくって帝政を始めた。
・彼は「洪憲」という新しい元号をつくり、「洪憲帝」と呼ばれた。
・清の時代には国家の最重要施設で、いまは北京の観光名所である天壇で彼は神(天帝)に祈る儀式を行った。
3日前の3月10日、1912年のこの日に袁世凱が中華民国臨時大総統に就任して、その後、中華帝国皇帝を名乗る。
そして上の3つのことをしたから、中国最後の皇帝は袁世凱だとガイドはいう。
でも中華帝国なんて国があったのは、1915年~16年という一瞬でしかないし、袁世凱は皇帝を自称しただけで、世の人々からまったく認められていない。
帝政を始めて元号を制定し、天壇で祈ることは中国では皇帝にしかできないことだけど、それをしたからといって皇帝になれるわけではない。
袁世凱はしょせんはネタレベルで、公式な歴史では中国最後の王朝は清で、ラストエンペラーは愛新覚羅溥儀で間違いない。
中国の皇帝を象徴することにはほかにも、「九五至尊」(九五の尊)がある。
皇帝が最も大事な儀式を行う天壇の欄干や階段は、陰陽思想でいう最大の陽数である9や、その倍数で構成されているのだ。
各壇の直径を合わせると45丈になって、これは「9×5」で“九五之尊”を意味しているのは偶然であるワケがない。
中国で9と5は、皇帝を意味するもっとも尊い数字だからだ。
日本国語大辞典には「九五」の解説としてこう書いてある。
「(易(えき)で、九を陽の数とし、五を君位に配するところから)天子の位。また、最高の位。九五の尊位。」
知人の中国人は以前、日本語でこう説明した。
『易経』の中で「九」の地位が一番高く、第一卦と呼ばれる。古代の皇帝も自分が「九五至尊」と名乗った。
この「九五の尊」についてネットで中国人に聞いてみたところ、こんなコメントが返ってきた。
・九五は皇帝を表す数字。
・龍の爪が五本あるのは皇帝の龍、王宮で九つの飾りのあるところは皇帝がいるとところです。
・易経では「九五、飛龍在天、利見大人」の文があります。龍は空に現れる、皇帝の吉兆です。
・皇帝の龍は確かに五本の爪がありますけど、それは元朝からのルールですよ。
・皇帝の服には龍の紋があります。その龍は九つ、龍の爪は五本です。中国では、皇帝の服は「龍袞/龍袍」、皇帝本人は「九五至尊」と呼ばれます。
袁世凱も、五本の爪のある九つの龍の衣装を着ていただろうけど、それでもヤツはニセモノだ。
この建物屋根飾りは七つだから、皇帝がいたところではない。
でも、かなり身分の高い人物がいたと思われ。
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