信長に愛されまくった“黒人侍”と、悲惨なアフリカの奴隷

 

1581年のきょう3月27日、ヨーロッパ人宣教師のヴァリニャーノがアフリカ人の奴隷か従者を連れて織田信長に謁見した。

全日本人の中でもこれ以上ないほど波乱万丈の人生を過ごして、数々のドラマや小説、マンガのメインキャラとして取り上げられてきた信長でも、黒人を見たのはこのときが生まれて初めてだ。
『信長公記』には「黒坊主参り候」、「十人力の剛力」、「牛のように黒き身体」と表現されているから、この黒人の髪の毛はかなり短いかなくて、当時の日本人にはマッチョで屈強な戦士のように見えたと思われる。
信長はこの黒人青年がめっちゃ気に入って、ヴァリニャーノから譲り受けると、信長は彼に「弥助」(やすけ)と名付け、刀を与えて正式な武士にして側近の1人にした。
信長はいずれはヤスケを大名(殿さま)にしようと考えていたらしい。

「敵は本能寺にあり!」で有名な本能寺の変があったとき、ヤスケは主君・信長を守るために明智軍と戦うも力及ばず、信長はそこで自害する。
明智軍に捕まったヤスケは、光秀が「黒奴は動物で何も知らず、また日本人でもない故、これを殺さず」と言ったことで命は助けられて南蛮寺へ送られたという。

 

外国人としては「ノブナガ、フー?」といった感じで、戦国時代に実在した「黒人サムライ」の方に興味があるはず。
それできょねんネットフリックスのオリジナル・アニメ『Yasuke』が、世界190か国へ配信されて話題になったのは記憶に新しい。

ただ、このアニメは最強の浪人「ヤスケ」を主人公に、リアルと空想をごちゃ混ぜにしたファンタジー時代劇だから、決して史実を期待してはいけないのだ。

これに日本のネット民の声は?

・海外の黒人が感動してるらしい。
・ちびくろサンボは絶版になった
・実際戦国時代に身体能力鬼の黒人が敵の軍に居たら震えるよな
・AFRO SAMURAIは面白かった
・世界に売るなら信長が誰ってところからやらなきゃいけないからめんどくさいな

 

 

この時代の奴隷は主人の所有物として、過酷な労働をさせられていたいわば「生きた道具」。
ヨーロッパ人は黒人奴隷に人間としての尊厳や権利を一切認めていなかったから、アフリカで集めた奴隷をアメリカ大陸に運ぶために、船へ乗せる様子はまさに鬼畜の所業だった。

奴隷船に奴隷を積みこむ数日前に奴隷は全員、男も女も頭を剃られた。
また、積み荷の所有者のイニシャルか会社のブランドが奴隷の身体に焼き印された。
新世界へ向けて出帆する当日には、城塞や「バラクーン」と呼ばれる小さな檻に閉じ込められていた奴隷たちは、最初で最後となる豪勢な食事を与えられた。

食後奴隷たちは二人一組になって足首に鎖をつけられ、奴隷船に連れていかれた。彼らは全裸で、男女別々の船倉に入れられた。
(中略)
たいていの奴隷は、自分の生まれ育った大地から引き離される際に深い悲しみと絶望に陥った。絶望にかられて海に飛び込む者もいた。

「近代世界と奴隷制 (人文書院) 池本 幸三 、下山 晃 、布留川 正博 」

セネガルのゴレ島に奴隷を収容していた施設がある。
そこはこんな狭い「窓」からしか明かりが入らないような、すごく暗くて固くて悲しいところ。

 

「黒奴は動物で何も知らず、また日本人でもない故、これを殺さず」という光秀の発言について、ウィキペデアには「黒人に対する差別意識の表れだった」と書いてある。
誰がこんなことを考えているのか知らんけど、ヨーロッパ人の差別意識に比べたら光秀が天使に見える。

それにしても織田信長から愛されまくりで、武士の身分に取り立てられて歴史に名を残したヤスケは運が良かった。

 

 

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アフリカの旅(国)が、こんなにひどいなんて聞いてなかったから。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。