きょう7月14日は、日本の歴史にとって画期的な日。
1853年7月8日にペリー率いるアメリカ海軍の艦隊が浦賀沖へやって来て、「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も寝られず」という狂歌を生んだ。
上喜撰(じょうきせん)とは緑茶の一種で、「たつた四杯で」というのはカフェインの興奮作用を指す。
この狂歌は、4隻の蒸気船が現れてパニック状態におちいった江戸幕府をやゆしたものだ。
ペリーの目的は、開国を求めるフィルモア大統領の国書を日本政府(徳川幕府)に渡すことで、「鎖国」政策を取っていた幕府は大砲をチラつかせるペリーに屈して要求を認め、神奈川浦賀への上陸を許可した。
そして1853年7月14日、日本に降り立ったペリーは幕府に大統領の国書を渡す。
それを記念して、今ではこの日が「ペリー上陸の日」という記念日になっている。
ところで、あのときあのタイミングで日本へやって来たのが、なんでイギリスやフランスなどではなくてアメリカだったのか?
その答えはクリミア戦争にある。
当時のヨーロッパ諸国の関心はこの戦争に集中していて、極東の島国なんて眼中になかったのだ。
日本に現れたペリー艦隊(1854年)と日本人が描いたペリー
ペリーが国書を手渡した場所、横須賀市久里浜に立つペリー上陸記念碑
1853年7月14日にちなんで、1901年7月14日に除幕された。
さて日本の小学校の歴史教科書で、必ず習わないといけない外国人が3人いるのはご存じだろうか?
それは中国人仏教僧の鑑真と、戦国時代に来日してキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルとの日本を開国させたアメリカ人のペリー。
*教科書の記述は時代によって変わるから、現在は分からない。
くわしいことは小学校社会科における人物学習をどうぞ。
5年ぐらい前、日本で英語を教えていたアメリカ人2人と飲んでいたとき、ペリーについてアメリカ人がどう思っているのか聞いてみた。
するとひとりが、「どのペリーだよ?」と聞き返す。
省略しすぎたか、と思ってペリー提督のことを伝えて改めてたずねると、「アメリカでは無名だね。ふつうのアメリカ人は知らない」と言う。
もうひとりも、「自分も日本に来てから、生徒にペリーについて教えてもらった。花見や侍や忍者は知っていたけど、アメリカ人が江戸幕府を終わらせたというのは初耳。そんなことは歴史の専門家の領域で、アメリカの小中学校の教科書には載ってないと思う」と話す。
アメリカ人が終わらせたというのもかなり省略した話だけど、ペリーが来日しなかったら、江戸時代はもっと長く存続していたことは間違いない。
そうすると明治維新や近代化も遅れて、ひょっとしたら日本は欧米の植民地になっていたかも。
そんな日本史の超重要外国人であるペリーが、本国ではほとんどunknownで埋もれている。日米では扱いがまさに真逆だ。
忍者や侍は有名で「それを知らないアメリカ人はいない」という二人の話は分かるけど、このとき一人が「ペリーより、織田信長のほうがアメリカでは有名だ」と言ったのには、意外でビックリした。
「彼はこう言うけど、君はどう思う?」ともう一人のアメリカ人に聞いたら、「それは間違いない」と太鼓判をポンっと押す。
その理由は日本のゲームらしい。
「信長の野望」か何か忘れたけど、信長関連のゲームをするアメリカ人はいまたくさんいるから、織田信長の名前はアメリカでわりと知られているらしい。
少なくともペリー提督よりは。
このときのアメリカ人いわく、信長のような強くてカリスマのある人物はアメリカ人の好みに合っている。
ということでアメリカでは、ペリーより戦国武将の織田信長の方が知名度と人気がある。(らしい)
ペリー上陸の年月日より、「本能寺の変」が起きた年の方が有名だったりして。
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>さて日本の小学校の歴史教科書で、必ず習わないといけない外国人が2人いるのはご存じだろうか?
(日本を訪問した)外国人で有名な偉人と言ったらこの2人でしょうけど。。
習わなければならないと言ったら、隋の皇帝:煬帝やら、元寇のフビライ・ハンもいるような。。。事件のみで名前が出てこないんですかね?外国人の偉人で一番の有名なのは、仏陀とキリストだと思いますけど、必須ではない?
アメリカで有名じゃないのは、まぁそうだろうな。と思いますね。日本の歴史を動かした人物ですけど、南北戦争の影響で、アメリカでは功績として讃えられていなかったそうですから。まぁ逆も然りで坂本龍馬よりジョン万次郎のほうがアメリカでは有名でしょうけど、日本人は知らない人もいるのでは?
個人的な推しメンなら、孔子ですね。
日本に来たことはないけど、論語があたえた影響は大きいですから。
なお、習わないといけない外国人は中国人の鑑真をふくめて3人でした。
>ところで、あのときあのタイミングで日本へやって来たのが、なんでイギリスやフランスなどではなくてアメリカだったのか?
>その答えはクリミア戦争にある。
>当時のヨーロッパ諸国の関心はこの戦争に集中していて、極東の島国なんて眼中になかったのだ。
それだけでは、イギリスやフランスが日本へやって来なかった理由にはなるでしょうけど、アメリカがやって来て開国を迫った理由にはなりませんよね。確か、あの頃の米国は、太平洋でクジラ漁のための補給基地としての港を必要としていたのでは? うろ覚えですが。
なお台湾やフィリピンでは、凡そ「文明国」とみなせるほどには当時は国内が安定しておらず、米国との交渉相手には到底ならなかったのでしょう。
アメリカがやって来て開国を迫った理由についてはリンク先の記事にあります。ご参照ください。