3月27日は「さくらの日」。
このころは七十二候のひとつ「桜始開(さくらはじめてひらく)」の時期で、それと「3×9(さくら)は27」という合わせ技でこの日が「さくらの日」になっている。
時代を110年さかのぼると1912年の3月27日に、東京からアメリカへ贈られた3000本の桜の苗木がワシントンにあるポトマック川のほとりに植えられた。
これが現在のアメリカ人に「桜始開」の季節を伝えると同時に、「本当に素晴らしい贈り物。みんな感謝している」、「息が止まるほど美しい」とよろこばれる「全米桜まつり」の始まりになった。
このお返しとしてアメリカから日本へは、ハナミズキ(アメリカヤマボウシ)が贈られた。
そんなことから「全米桜まつり」は日米友好の象徴になっていて、だからこそ第二次世界大戦の間は休止されていた。
戦後すぐの1947年に再開されて、このイベントはアメリカの春の風物詩になっている。
年を重ねるごとにこれが発展・バージョンアップされていき、いまでは日本文化を紹介するイベントが開かれて、150万人が集まるというのは動画にあるとおり。
この祭りを通してたくさんのアメリカ人が寿司や日本酒に親しんだり、着物のファッションショーを楽しんでいるといったことについては「全米桜まつり」で確認されたし。
このまつりは、シドモアというアメリカ人女性が明治の日本へやって来て、桜の美しさに感動したことから始まった。
著作家で写真家、さらにナショナルジオグラフィック協会初の女性理事となった彼女は、日本人と桜について旅行記にこう記す。
たとえ何でも陰鬱な冬に逆戻りしても、日本全国、白とピンクの花環で彩られるまで、じっと堪えます。栄光の四月、満開の花の雲、桜の爆発で帝の国は歓喜に包まれます
「シドモア日本紀行: 明治の人力車ツアー (講談社学術文庫) 」
いまは横浜で眠っているエリザ・ルアマー・シドモア(1856年 – 1928年)
「栄光の四月、満開の花の雲」と称賛した桜を、シドモアはワシントンD.C.に植えようと思いつく。
それで彼女は手紙を書いて、この計画をウィリアム・タフト大統領の妻のヘレン・タフトに伝える。
するとファーストレディーは、
「Thank you very much for your suggestion about the cherry trees. I have taken the matter up and am promised the trees」
(桜に関する提案をありがとうございます。私は桜を植えることには同意します)
と乗り気になって、日本人の協力も得てこの計画を現実にしていく。
病気や害虫がいたことがわかって2000本の桜の木が焼却処分されたり、日本との戦争が始まるという苦難もあったけど、それを乗り越えて「本当に素晴らしい贈り物 みんな感謝している」、「息が止まるほど美しい」とアメリカ人がほめたたえるいまの桜まつりがある。
「桜の爆発で歓喜に包まれます」は日本だけじゃなかった。
焼却される桜の木
ワシントンにサクラ咲く
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