【モンゴル無双】13世紀の東西 元寇とワールシュタットの戦い

 

13世紀に元(モンゴル)の皇帝は日本へ使者を送って、「わが国の属国となり、貢ぎ物を持ってこい」と上から目線で鎌倉幕府の執権・北条時宗に要求する。
「だが断る!」と日本は一蹴したから、怒った元との戦いが始まるのは必然だった。

そして高麗&元の連合軍が1274年の文永役と、1281年の弘安の役の二度にわたって日本に攻めてくるも、二回とも返り討ちにあったのは歴史の授業で習ったとおりだ。
このときは敵軍の上陸を許さない御家人たちの奮闘があったし、後に神風と呼ばれる暴風雨が起きてモンゴル軍は壊滅し撤退した。

元寇で日本が勝利した要因:御家人と神仏への祈り(=神風)

このとき日本には神風が吹いてよかった。
同じ13世紀、日本の反対側ではそんなミラクルは起こらず、死体が大地を埋める地獄絵図が現出したのだから。

 

(たしか)「神風」を起こして日本を守ってくれた神をまつる神社 in 伊勢神宮

 

元寇が起こる直前、モンゴル帝国のバトゥ率いるヨーロッパ遠征軍は次々と敵を撃破しながら、西へ西へと攻め込んでいき、1241年にポーランド西部のリーグニッツでポーランド・ドイツ連合軍と激突した。
これが高校世界史でならう「ワールシュタット(リーグニッツ)の戦い」だ。
なんか『銀河英雄伝説』で出てきそうな決戦名。
戦いといっても、結果からみるとポーランド・ドイツ連合軍の大敗北で、後にはヨーロッパ人の死体の山が残されただけだから「ワールシュタットの虐殺(惨劇)」といっていい。

完全に混乱状態にある敵軍をモンゴルの重装騎兵が打ち破った。煙幕の向こうにいた歩兵は逃げ惑う騎士とそれを追うモンゴル軍の姿を見ると、恐怖に駆られて敗走した。
逃げるドイツ・ポーランド連合軍をモンゴル軍は容赦なく追撃して、おびただしい数が殺戮された。

ワールシュタットの戦い

左がモンゴル軍、右がポーランド・チュートン騎士団連合軍(ワールシュタットの戦い)

 

「リーグニッツ」とはこの戦いがあった場所のことで、「多くの死体が残されたところから,ワールシュタット(“死体の地”)という(旺文社世界史事典)」。
この戦いの前にモンゴル軍はいまのウクライナやロシアにあったルーシ諸国を粉砕し、破壊と殺戮をほしいままにしてきた。(モンゴルのルーシ侵攻
そして今度はバトー率いるタチコマじゃなくて、バトゥ率いるモンゴル軍がドイツ・ポーランド軍を撃破して、そのまま西へ進んでオーストリアのウィーン近くにまで迫る。

この絶体絶命のピンチに、神風は吹かなかったけど、皇帝オゴデイが急死したからバトゥは撤退してウィーンは廃墟と死体の街にならずに済んだ。
ただワールシュタットの戦いでの敗戦は西ヨーロッパ諸国、とくにローマ・カトリック教会にすさまじい恐怖を与えて、モンゴルに対する十字軍が唱えられた。
でも、戦いよりも平和のほうが良い。
ということでローマ教皇は使者を派遣して、和睦交渉を行うことにする。
この大役を任せられた修道士のプラノ・カルピニが1245年のきょう4月15日、モンゴル帝国の首都・カラコルムへ向かって出発した。

 

カルピニたち一行はカラコルムで皇帝グユクと会って、話をすることに成功した。が、グユクが望んだことはローマ教皇や西欧諸国の屈服や、モンゴル帝国への臣従だったから、和睦交渉は失敗に終わる。
「おいオマエ、これを持ってけ」と言われて渡されたグユクの勅書には、

・ローマ教皇やヨーロッパの君主たちはモンゴル帝国に降服すること。
・ローマ教皇がヨーロッパの君主を引き連れて、モンゴルの宮廷まで来てモンゴル帝国に帰順すること。

といった内容が書いてあり、これを拒否した場合は再度の武力侵攻もあると脅す。
「ワールシュタットの戦い・再び」という事態は、ヨーロッパ人が想像しうる最悪の悪夢だ。
でもこの後、モンゴル帝国では皇帝の地位をめぐって争いが起こって、ヨーロッパは“ほったらかし”にされたから助かった。

モンゴル皇帝の勅書はローマ教皇を見下して書いてあったから、ローマ教皇にとってはかなりの屈辱だったはず。
でも、皇帝オゴデイが急死したことは、ローマ教皇や西ヨーロッパ諸国にとっては超ギリギリのラッキーだったといえる。
その前に蹂躙されたルーシ諸国やポーランド、ハンガリー、それと神風が起こらなかった朝鮮半島はザンネンでした。

 

モンゴル帝国の位置
画像:Astrokey44

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。