元寇で日本が勝利した要因:御家人と神仏への祈り(=神風)

 

新型コロナウイルスの日本侵略はとどまることを知らない。
3月5日午前7時現在での感染者は331人(前日から47人増)と300人を突破されてしまった。

これ以上の感染拡大をふせぐために病院や保健所をはじめオール日本でフル回転しているけど、新型コロナは終息の気配さえみえない。
困ったときのアレですよ。
「こうなったら日本の神に祈るしかない」と青森市の神社が疫病退散の特別祈祷を始めましたとさ。

青森放送(3/5)

新型コロナウイルスの感染拡大を鎮めようと3月2日から毎朝、宮司が祝詞を捧げています。

青森市廣田神社 新型コロナ退散 特別祈祷

 

「新型コロナ~」と神職が祝詞を唱えるのは希望か末期か。
疫病退散の御札もあるそうだから、ご近所の方はぜひ。

これにネットの反応は?

・特別祈祷で感染拡大とかないよね^^
・神様も新型コロナ言われても何の話だかわかんないんじゃねえかな
・これで青森は安心だな
・広島の神社でも一ヶ月前から毎日疫病よけ祝詞よんでるって昨日ニュースになってたぞ
・マスクと御守り、どちらに効果がありますか?
・マスク付けて首からお守下げるよろし

ボクはこの廣田神社をまったく知らなかったけど、公式ツイッターアカウントには「全国唯一の病厄除守護神」とあるから、かなりスペシャルな神社らしい。

 

 

 

さて上の絵は13世紀の元寇を描いた絵(蒙古襲来絵詞前巻)で歴史の教科書で見たとおもう。
ちなみに弓を射る蒙古軍の兵士と戦っているのは竹崎季長(たけさき すえなが)という御家人。

新型コロナはいまの日本にとって国難というべきレベルの大敵だけど、13世紀の日本にとっての国難はモンゴル軍の襲来だった。
元寇で日本が勝利した要因は、神風と竹崎季長などの鎌倉幕府の御家人たちの奮闘とよくいわれる。
でも当時の日本人は「神々への祈り(祈祷)」も大きな理由と考えたはずだ。

朝廷や幕府はモンゴル軍が来る前、元の使者が来たときから、日本中の神や仏に勝利や敵国降伏を祈りまくる。
石清水八幡宮、宇佐八幡宮、伊勢神宮、住吉大社、厳島神社、諏訪大社、東大寺、延暦寺、東寺などで異国調伏の祈祷をおこなったというから、日本の神仏を総動員したといっていい。

最初の襲来(文永の役)で敵を撃退したときには、亀山上皇が石清水八幡宮で夜を徹して、神に日本の勝利と国土の安穏への感謝の祈りをささげた。
次の襲来(弘安の役)のときも、神風と呼ばれる暴風雨がきてモンゴル軍は壊滅して日本は守られた。

元寇という国難を「祈り」によって乗り越えたことについて、戦前を代表する東洋学者の内藤湖南はこう書く。

日本の前には國難が横つて居つたわけであるが、とにかく伊勢の大神宮や石清水八幡、三千餘座の神々に祈願して神の子孫が犬の子孫に勝つたわけであります。

「日本文化の独立 (内藤 湖南)」

 

ここでいう神の子孫というのは、天皇が天照大御神の子孫で、元寇のときの皇帝クビライ(フビライ)はモンゴル帝国をつくったチンギス・ハーン(=蒼き狼)の子孫だったことによる。

当時の日本人はこのとき吹いた神風を神々に祈った結果と考えた。
だからモンゴル軍を撃退して勝利を得た大きな要因は、御家人による命がけの戦いと日本中の神仏への祈祷(=神風)ということだろう。

令和の日本に再び神風を起こしてくれますように。
新型コロナ~。

ちなみにこのとき、仏に対して日本の神が優位に立つという考え方もできた。

日本の仏教は神々の加護によって初めて成立しており末法の世を救う教えも日本が神国であるからこそ成立したという主張に転換していく事になる。

神国#鎌倉時代

 

さらにおまけに言えば朝鮮半島の高麗がモンゴル軍に攻めこまれたとき、高麗王は仏教の力で国を守ろうと経典とその版木をつくらせる。
これが世界遺産になっている高麗八萬大蔵経(こうらいはちまんだいぞうきょう)だ。

 

海印寺にある大蔵経の版木

 

 

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8 件のコメント

  • >新型コロナウイルスの感染拡大を鎮めようと3月2日から毎朝、宮司が祝詞を捧げています。

    確かに神様への祈祷なのだから「祝詞(のりと)」で正しいのですけど。漢字がなぁ・・・。
    病魔退散・平癒回復の「祈祷」「祈願」「祈り」「願文(がんもん)」とかの方が、文字的に合っているような気がします。

  • 筆者が書かれている神国の華氏は私も聞いたことがあります。「神風」は、歴史学者に言わせると、当時の為政者が自分に都合のいい話にするために作り出した「作り話」だったそうですからね。大学の時、教授がそんな事を言ってました。
    実際には台風があったという事実も見つかっていない。「神に守られている。我々が神に祈ったおかげだ」と言ったほうが、支持を集めやすかったんだろう。数ヶ月に及ぶ船上生活(それも13世紀)で疲弊したから単純に帰っただけで、それを当時の為政者が利用した。
    とのこと。そう言われると、たしかに説得力あるなと思った記憶があります。

  • >数ヶ月に及ぶ船上生活(それも13世紀)で疲弊したから単純に帰っただけ
    この説は初めて見ました。
    これはどこで確認できますか?
    それと神風の作り話をした為政者というのは天皇ですか?それとも執権(または将軍)でしょうか。

  • >>数ヶ月に及ぶ船上生活(それも13世紀)で疲弊したから単純に帰っただけ
    >この説は初めて見ました。
    >これはどこで確認できますか?
    すみません。金曜ぶりです。私も教授に聞いた話だったので、調べてませんでした。
    ↓当時の文献を見ると・・・というサイトを見つけたので載せておきます。
    https://bushoojapan.com/jphistory/middle/2017/01/13/91850

  • リンクをありがとうございます。
    ただこのサイトを読むと現時点では「~という説がある」という感じで、まだ歴史の定説にはなっていない気がします。
    様々な批判に耐えて生き残った説は辞書に記載されるので、正確な情報は「コトバンク」や日本史用語集で確認するといいと思いますよ。
    アクセスが欲しくて、定説や常識をくつがえす「それっぽい情報」をそれっぽく載せているサイトも多いですから。

  • >「神風」は、歴史学者に言わせると、当時の為政者が自分に都合のいい話にするために作り出した「作り話」だったそうですからね。大学の時、教授がそんな事を言ってました。
    >実際には台風があったという事実も見つかっていない。「神に守られている。我々が神に祈ったおかげだ」と言ったほうが、支持を集めやすかったんだろう。数ヶ月に及ぶ船上生活(それも13世紀)で疲弊したから単純に帰っただけで、それを当時の為政者が利用した。

    あははー、その言い方、戦後の「自虐史観」日本史の論調にそっくりですね。
    為政者が都合のいい話にしたいのなら、神様や台風のせいにしますかね? 戦争が始まる前に味方を鼓舞するためであればともかく(織田信長が桶狭間の合戦の直前に熱田神宮へ祈祷したのと同じ)、戦争が終わってからですからね。むしろ、勝利した直後であれば「我々が強かったから勝ったのだ!」とする方が都合がいいようにも思います。
    勝因として台風(または暴風雨)を持ち出したのは、当時の為政者と言うよりも、後の為政者・学者たちが歴史を分析して得た結論によるものなのでしょう。
    たしか最近、当時のモンゴル側の船の残骸(?)の一部が、九州で新たに発見されたのではなかったでしたっけ? 私の記憶違いかな? たとえば操船に慣れていない水軍であれば、多少の風雨であっても全滅してしまうことはありえますよね。半島を出発する時に人荷を積みすぎたとか・・・。あれ? 今世紀になってからもそんな話がどこかの国であったような???

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。