日本との友好をとても大事にしていて、それを有言実行しているのが台湾の総統・蔡英文さん。
たとえば蔡氏はよくこんなふうに、日本語でメッセージをしてくれる。
本場の台湾グルメで日本から来た友人をおもてなし
日本でも人気のタピオカミルクティーとパイナップルケーキを用意し、@seinenkyoku自民党青年局台湾訪問団を歓迎しました。今回の交流を通して、台湾と日本の友情が一層深められるよう願っています! pic.twitter.com/SUkl9lNI7v
— 蔡英文 Tsai Ing-wen (@iingwen) May 4, 2022
現在の日台関係に直接大きな影響を与えたのが、日清戦争に勝利した1895年から終戦の1945年まで、日本がしていた台湾統治だ。
その間には抗日運動が起こり、日本人にも台湾人にも多くの死者が出て、平たんではなかったけど、いまにつづく友好関係の基盤が築かれた。
経済発展の目標は農産物あるいは工業製品の生産工場に拠り日本国内の需要を満たすことにあったが、日本からの資本投入は台湾経済の発展と社会インフラ整備を支援し、戦後の台湾経済にも大きな影響を与えている。
そんな台湾と日本の友情を考えるときに、絶対に忘れちゃいけない人物がいる。
台湾にある日本統治時代の建物を紹介している台湾人の「Hsu Hsu」さんが最近、「八田与一技師墓前祭の現場!!」というメッセージと一緒にこんな写真をSNSに投稿した。
日本時代に八田が巨大な烏山頭ダムを建設したことで、不毛の地が豊かな穀倉地帯へ変わり、多くの住民が救われた。
そして台湾は農業を基礎として工業や商業の発展させてきたから、八田の貢献はいまでも現地で称えられている。
それで彼の命日である5月8日には、八田の慰霊祭が行われて日台の友情を再確認しているのだ。
上の写真にはお供え物の果物が山積みになっていて、奥にある八田の像があんまり見えない。
この日に行われた慰霊祭では、台湾の副総統も参加したという。
きょねん日本にいる台湾人と話をしたとき、彼は近所のスーパーで台湾のパイナップルが販売されているのを見て、涙が出そうなくらい感激したと言う。
このとき中国が台湾産パイナップルの輸入を停止したことで、パイナップルの行く先がなくなってしまった。
台湾の農家が大ピンチにおちいったところ、それを聞いた日本人が立ち上がって、そのパイナップルを大量輸入し食べまくった。
その流れでスーパーの「買って台湾を応援!」のキャンペーンを見て、「わたしはその場で泣きそうになりました。日本の人たちには感謝感謝です。」と、情に厚くて涙もろい台南出身の知人が語る。
東日本大震災の際には台湾の人たちが全力で日本を支援してくれたし、日本と台湾は「ギブ&ギブ」や「テイク&テイク」ではなくて、困った時はお互いさまの精神でウィンウィンの良い関係を築いている。
その基礎を築いた重要人物のひとりが八田与一だ。
彼はすべての歴史教科書で教えていいレベルの偉人なのに、日本ではあまり知られていない。
台湾では毎年、彼の慰霊祭が開かれているのに、日本のメディアではあまり取り上げられていないような?
台湾旅行をしていて、たまたま知り合った現地のおじいさんから「八田与一さんにはいまでも感謝している」という話を聞いて、初めて八田について知ったという日本人もいた。
その一方で、八田の出身地の石川ではわりと有名らしい。
やっぱりこの人物は全国区の有名人にするべき。
台湾人が統治時代の日本人を高く評価したり、感謝していることを知ると、チョット高くても自然と台湾産のモノを買いたくなる。
するとSNSなんかでそれが台湾にも伝わって、日本と台湾の友情がさらに一層深まっていく。
こういう隣人は貴重だ。
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