悲劇を瞬間保存:タイのアユタヤ・仏のオラドゥール村

 

近ごろイラクで、ほんとにイラクらしい出来事が起きた。
古代メソポタミア文明のあったこの地で、ヒドイ干ばつがあってチグリス川の水位が下がった結果、約3400年前の古代都市が出現して世界的な話題になっている。

 

 

といっても、この古代遺跡は今回はじめて見つかったワケではなく、川底に都市遺跡があることは前から知られていて、干ばつ時に前にも姿を現したらしい。
でもとても貴重な機会ということで、いま考古学者が調査をしていると。

 

歴史のある瞬間で時間が止まって、そのあと人の手が入ることなく、そのトキそのままの状態で残っている場所が世界にある。
日本なら原爆ドームだ。
ここではフツウの日本人でも行くことができて、歴史の勉強になる海外のそんなスポットを紹介しよう。

まずは、タイのバンコク近くにあるアユタヤ遺跡。
日本でいえば室町~江戸時代まで存在していたアユタヤ王朝は、中国・インド・ヨーロッパと貿易を行い、ばく大な富をたくわえて東南アジアの強国として栄えていた。
でも、攻め込んできたビルマ軍に包囲されて1767年4月7日、総攻撃を受けて一夜にして首都は破壊されアユタヤ王朝は滅亡する。

タイ人とビルマ②歴史上最悪の事件アユタヤ王朝の滅亡・ミャンマーが嫌いな理由

現在のアユタヤには首のない仏像や焼け焦げたレンガなど、アユタヤが攻め滅ぼされたときのまま遺跡が残っている。

 

 

次はフランスのオラドゥール村。
ここは1944年のきょう6月10日、ナチスの武装親衛隊(SS)による虐殺が行われて以来、ゴーストタウンとなって今にいたる。
反ドイツのレジスタンス組織「マキ」の指導者たちがオラドゥールに滞在していること、そしてドイツ人の高級将校が捕らわれているという情報を入手した親衛隊は6月10日に現れてこの村を包囲する。
そして身分証明書を確認するから、全住民に広場へ来いと命じる。
住民が集まってくると、兵士は女性と子供を教会へ連れて行く。
(何という不幸フラグ)

そのときの目撃者の話によれば、村の男たちは納屋へ連行された後、SSの兵士に機関銃で足を撃たれて動けなくなり、生きたまま焼き殺された。
何とか逃げ出した6人のうち1人が射殺されて、計190人のフランス人が死亡。

村の男をほぼ皆殺しにした後、兵士は女性と子供を閉じ込めた教会を燃やす。

中にいた女性と子供はドアや窓から逃げだそうと試みたが、ここでも待ち受けていたのは容赦ない機関銃による銃撃であった。女性240名、子供205名が混乱のなかで命を落とし、奇跡的に女性1名が一命を取り留めた。

オラドゥール=シュル=グラヌ

 

この大虐殺の後、ナチスの武装親衛隊は村を徹底的に破壊する。

シャルル・ド・ゴールは戦後、オラドゥール村を再建しないでナチスの残忍さを後世に伝えるため、虐殺が起きたときのままの状態で残そうと決めた。
現在ここにあるメモリアル・センターでは、生きたまま焼かれた時に止まった時計や猛烈な熱で溶けた眼鏡などを見ることができる。

Its museum includes items recovered from the burned-out buildings: watches stopped at the time their owners were burned alive, glasses melted from the intense heat, and various personal items.

 Oradour-sur-Glane massacre

 

タイのアユタヤもフランスのオラドゥール村も、「1日で滅亡した」という同じ悲劇をもっている。
でも、「ゾウさんの背中に乗ってみよう!」的な明るく楽しい観光地のアユタヤとは違って、オラドゥール村の悲劇はまだ”最近”のことで、生々しいからこっちはダークツーリズムといった感じ。
でも両方とも訪れて、歴史や平和を学ぶ価値はある。

 

 

 

外国人から見た日本と日本人 15の言葉 「目次」

日本はどんな国? 在日外国人から見たいろんな日本 「目次」

フランス人とドイツ人の違い:カエル vs ザワークラウト

ヨーロッパ 目次 ②

ヨーロッパ 目次 ③

 

コメントを残す

ABOUTこの記事をかいた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。