韓国はとんでもない年明けを迎えた。
中央日報の記事によると、今の韓国はサンドバッグ状態だ。(2017.01.09)
年初から韓国外交は袋叩きの境遇だ。中国に蹴られ、日本に爆発され、米国に無視される格好だ。
過渡期の韓国外交、安定的状況管理が最善だ
中国のことは置いといて、日本の「爆発」というのは、安倍首相が「日韓慰安婦合意は政権が変わっても実行されなければならない」と強調したことを指す。
これは、韓国側が約束を守っていないのだから、爆発されても仕方ない。
慰安婦合意によって、ソウルの日本大使館前の慰安婦像が撤去されるはずだったのに、プサンのの日本総領事館前に新しい慰安婦像が設置され、日本はそれへの抗議として、通貨スワップ交渉を中断した。
韓国としては、日本と通貨スワップ協定を結びたい。しかし、韓国にはメンツがあり、日本をライバル視しているから頭を下げたくはない。自分から先に「通貨スワップの交渉をしてほしい」と言い出したくない。
今回は、そんな韓国のライバル意識について書いていこう。
この意識はいつから始まったのか?
一番上にソウルがあって、一番下に東京があるのはきっと偶然ではない。
韓国が日本をどれだけライバル視しているか?
そのことについては、第三者の外国人の方がよくわかる。
ということで、「ヒディング」というオランダ人の目から見た韓国を見てみよう。
ヒディングはサッカー韓国代表の監督をしていて、2002年のワールドカップでは韓国を4位に導いた名将だ。
韓国では伝説的な人物で、その功績から名誉国民証を授与されたほか、光州ワールドカップ競技場の名前を「フース・ヒディンク・スタジアム」に変えようとした検討されたこともある。
彼が韓国の監督をしていたときのことを記した「ヒディング自伝 韓国を変えた男(文藝春秋)」という本がある。
これを読むと、ヒディングの目から見た韓国の姿がわかる。
日本代表がフランス代表に0-5で負けた後に、韓国がフランスと試合をすることになった。
そのときに韓国代表の関係者はこんなことを言って、ヒディングを驚かせた。
日本がフランスに0対5で負けたから、それより少ない点差であれば負けてもいいという話がでているらしい。ありえない話だ
「ヒディング自伝 韓国を変えた男 (文藝春秋)」
フランスに負けても、日本以上の点差で負けなかったらそれでいいーー。
韓国は日本に対して強烈なライバル意識があるから、さまざまな分野で「日本より上か下か」によって判断する傾向がある。
だから、秋のノーベル賞の時期になるとよく記事を見る。
「ノーベル賞0人vs19人…韓国30年、日本146年基礎科学の差」(中央日報 2014年10月10日」
日本はそこまで韓国を強く意識していないから、ノーベル賞で「◯人vs◯人」と韓国をライバル視する記事が全国紙に掲載されることはない。
ヒディンクは、韓国人の日本へのライバル心を利用して選手のやる気を引き出してもいる。
「日本の選手からはハングリー精神」がなくなったという話から、あれこれ仔細(しさい)なことまで日本と比較した。つまり、我々がしてはいけないことを並べて、日本を反面教師にしようと思ったのだ。日本と比較すると、選手たちの目が俄然(がぜん)きらきらと輝き始めた
(同書)
日本と比較させれば、韓国人は100%以上の力を出すことができ、兵役免除があれば120%の力を出すことができる。
日本人にこんなニンジンはない。
韓国はいつから日本に対して、こんな強いライバル意識を持つようになったのか?
今の韓国人のライバル意識は、韓国人が日本と戦って独立することができなかったという恨(ハン)に由来すると思う。
歴史的な始まりを探すとしたら、奈良時代の753年(天平勝宝5年)に起きた出来事が思い当たる。
古代、日本は朝鮮半島からいろいろな文化を受け入れ、韓国の歴史教科書にはこんな記述がある。
「わが先祖は発達したわが文化をとなりの日本に教えてあげたと言い」
「王仁は百済の文化を日本に教えてあげた学者である。
やや上から目線な文章が気になるが、それも日本へのライバル意識が根底にあると思われる。
しかし、6世紀になると、日本が韓国(新羅)にライバル意識を持つようになったらしい。
「7世紀末から日本が上位に立とうとしたので、新羅との対立が目立つようになった。(日本史用語集 山川出版)
「新羅を従属国として扱おうとする日本との間で時に緊張が生じた (詳細日本史研究 山川出版)」
新羅は「日本より上」と考えていたのだろうが、日本は新羅を「従属国」とみていた。そんな意識がぶつかれば対立するしかない。
ボクの知るかぎり、最も古い日韓戦は8世紀に起きている。
場所は中国(唐)で、日本と新羅「どっちの席順が上か?」ということをめぐって争い、現在ではそれは「長安での席次争い」と呼ばれている。
753年に長安で開催された行事で、遣唐使の大伴古麻呂と新羅の使者の意見が衝突した。この際、唐は新羅が倭(日本)の従属国であることを認め、新羅を下位においたのだ。
ということで、この勝負は日本の“勝利”に終わった。
このときに韓国が日本に負けてから、日本と韓国のライバルの歴史が始まったと思っている。
韓国との「絶対に負けられない戦い」は奈良時代からあったのだ。
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