ほんじつ6月26日は1843年に、初代香港総督のヘンリー・ポッティンジャーが着任した日。
これ以来、イギリス国王の代わりとして、香港総督は絶対的な権限をもって香港に君臨することとなる。
*前任のチャールズ・エリオットは臨時の香港総督だったから、ここではカットカット。
この3年前にぼっ発したアヘン戦争で敗北した中国(清朝)は、イギリスに香港を150年貸し与えると約束する。
これで香港はイギリスの植民地となり、その期限となった1997年に「カエサルの物はカエサルに」で、香港を中国へ戻してイギリスは出ていった。
150年にわたるイギリス支配もこれにて終了。
…なんて、間違ったことを信じてる人はいないだろうか?(いてくれ)
1997年の150前は1847年だから、もうこの時点で初代香港総督の着任とつじつまが合わなくなる。
「香港は150年間、イギリスに統治されていた」という話をよく聞くが、これは正しいけど間違っている。
まず21世紀のいまでいう「香港」と、アヘン戦争でイギリスに割譲された「香港」は同じではない。
現在の香港は香港島と九竜半島を中心にして、その周辺にある島々を含む広いエリアを指す。
でも、1842年にイギリスがゲットしたのは香港島だけ。
清はここを”永久割譲”したのだ。
その後、1856年に始まったアロー戦争でも負けた中国は、1860年の北京条約で九龍半島(の南部)もイギリスに奪われた。
貪欲なイギリスも、ここまで領土を手に入れたら満足だ。というほど帝国主義は甘くない。
今度は「香港を守るため」という勝手な理由で、イギリスは1898年に九竜半島北部の新界地域(New Territories)も、99年間の租借地として中国に認めさせた。(展拓香港界址専条)
ついでに、イギリスはランタオ島などもいただいちゃう。
ということで現在の「香港エリア」のうち、香港島は155年、九龍半島の南部は137年間、北部は99年間、イギリスの植民地だったことになる。
この間、香港総督の統治下で世界的な大都市・金融センターへと発展していく。
イギリスが「新界」を統治する期限は1997年6月30日までだったから、それ以降は中国領となった。
それをめぐる交渉で、中国側の猛烈な勢いに負けたイギリスが永久領土だった香港島の返還も認めた。
だから、「香港は永遠にイギリス領だったのだから、これは認めるべきではなかった!」と主張する人がいたし、香港島がいまでもイギリス領だった可能性は十分あったのだ。(香港返還)
いま日本のネットを見ていると、「イギリスは150年間、香港を統治していた」と言う人がたまにいるが、これは、永久割譲された香港島と租借地だった新界をごちゃ混ぜにして、カン違いしている。
それに最近では、そもそも香港はイギリスの植民地ではなかったという説が浮上しているのだ。
清朝が認めたのは領土の割譲であって、主権ではない。
香港における中国の主権は有効だった状態で、イギリスが植民地支配を実施しただけだから、香港はイギリスの植民地ではなかったと現在の香港の歴史教科書は説明しているという。
BBC(2022年6月16日)
「香港はイギリス植民地ではなかった」 香港の新教科書に記述
香港をイギリスの永久領土と認めた清朝政府を全否定。
もう何でもあり、発想力の勝負、言ったもん勝ちだ。
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