【中国も悪いんですよ】アヘン戦争でイギリスに完敗した原因

 

きょう6月26日は「国際麻薬乱用・不正取引防止デー」。

1987年のこの日に薬物乱用・不正取引防止に関する国際会議で、「世界各国が協力して、薬物乱用をなくしていこう!」となって(正確には、薬物乱用統制における将来の活動の包括的多面的概要の採択)、国連が6月26日を国際麻薬乱用・不正取引防止デーとした。

ということで、今回はアヘン(阿片)に関わる歴史の話を書いていこう。
時代は19紀初頭、「弱い国は強い国に土地も富も奪われる」という欧米が定めた帝国主義が国際ルールだったころ、イギリスは中国に何をしたか?
また中国は中国に対して何をしでかしたのか。

*アヘン・モルヒネ・ヘロイン・コカイン・大麻など麻薬について詳しいことを知りたい人はここをクリック。

麻薬

 

当時は大英帝国として、世界的な繁栄を誇ったイギリス。

地球上の各地に植民地を持っていて、領土のどこかでは必ず太陽が昇っていることから「日の沈まない国」と呼ばれた。

 

 

でもそれは、世界中で「悪事」を働いていたことの裏返しでもある。
現代の価値観からしたら「悪の帝国」と言っていいイギリスは、インドで製造したアヘンを中国(清)に輸出して笑いが止まらないほど大もうけしていた。

ちなみに中国では明の時代からアヘンを吸う習慣が広まっていて、次の清朝になるとのアヘンの輸入が禁止された。
それでもアヘンを手放せない人が多く、19世紀になって禁止令が何度も出されたけど、アヘンの密輸入は止まらなかった。
すでに多くの中国人が「アヘンの味」を知っていて、十分な需要はあったから、イギリスは阿片を提供するで巨額の富を得ることができたわけだ。

 

でもアヘンのまん延に中国政府が怒り、この取り締まりの切り札として林則徐(りん そくじょ)を貿易港のある広東へ派遣する。
林則徐は鬼だった。
とても厳しい態度でアヘン対策をおこない、1839年にはアヘン商人に「今後、一切アヘンを清国国内に持ち込まない。」という誓約書を提出させて、もし持ち込んだら死刑にすると伝えた。
中国社会をむしばむ悪魔を駆逐するべく、林はイギリス商人が持っていた1,400トン以上のアヘンをを没収・処分する。

でも正義をいきなり断行すると、激しい反発が生まれる。
妥協もワイロも一切許さず、アヘンやそれに関わる人間を手当たり次第に見つけて排除した林のやり方に、イギリスが激怒して軍艦を送って「アヘン戦争が」が始まった。
中国政府が林則徐を派遣したら、イギリスは政府は海軍を派遣したでござるの図。

北京近くの天津にイギリス軍の軍艦が現れたことに驚いた中国政府は、あわてて林則徐にすべての責任を押し付けて彼を解任する。
アニメではボス級の悪役がよくやる手だけど、もう手遅れだった。

 

 

林則徐は正義をおこなう過程で多くの敵をつくり、それが解任理由のひとつになった。

当時の清の官僚には広東の商人から賄賂を受け取っている者が多く、林則徐によりその金が絶たれた事を恨む者がいた事がある。

林則徐

 

結果的にはアヘン戦争の敗北で中国は賠償金と香港をイギリスに奪われるのだけど、でも中国にも実は「チャンス」はあった。
中国政府が林則徐を排除して交渉を求めると、イギリスもそれを受け入て川鼻条約を結び、軍を中国から撤収させた。
翌年1842年に結ばれた南京条約と比較すると、これはまだ中国に好意的な内容だったことが分かる。

川鼻条約

・広東貿易早期再開
・香港割譲
・賠償金600万ドル支払い
・公行廃止
・両国官憲の対等交渉

 

南京条約

・香港島割譲
・賠償金2,100万$を四年分割で支払う
・広州、福州、廈門、寧波、上海の5港開港
・公行の廃止による貿易完全自由化

 

戦争の負けを認めて川鼻条約でガマンしておけばよかった。そうするべきだった。
なのにイギリス軍が視界から消えると、欲が出てきて自分の首を絞める行動に出る。

清政府内で強硬派が盛り返し、道光帝はキシャンを罷免して川鼻条約の正式な締結も拒否した。 締結拒否を知ったイギリス軍はその報復として軍事行動を再開した。

阿片戦争

好意を裏切ったのだから、もう容赦はない。

 

こんなしましまのお笑い芸人のような恰好をした兵士が、なんでイギリス軍に勝てると思ったのか。

アモイで清軍を圧倒する第18近衛アイルランド連隊(1841年)

 

ぐうの音も出ないほどの完敗を喫した中国は南京条約を締結して、イギリスに巨額の賠償金と香港を差し出した。

「中国は竜涎香でマカオを失い、アヘンで香港を失った」といわれるゆえんだ。

中国の負の歴史:アヘンで香港、竜涎香でマカオを失った

アヘン戦争については、アヘンを売って戦争をしかけたイギリスが最大悪だけど、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」でイギリス軍が撤収したらすぐに約束を破るという、漫画のような展開をしてぼろ負けした清の自滅でもある。

イギリスが悪の帝国なら、清は強欲(それと“アホ”)の帝国だった。

 

韓国の全国紙・中央日報(2015.01.07)によると、いまも中国にはこの悪夢を忘れていない。

中国はアヘン戦争のトラウマも深い。英国の不道徳なアヘン戦争によって病にかかり、世界で麻薬の害悪を最も骨身に凍みるほど体験した国が中国だ

韓国人の死刑執行6日後に通知した中国の欠礼

 

さてアヘンが国際的に規制されたのは、1912年の万国阿片条約がきっかけだ。
この条約ができた背景のひとつに、清の動乱を嫌がった中国人が欧米やその植民地に移民として入ってきたことがある。
このとき彼らがアヘン吸引の習慣も持ってきたことで欧米が困ってしまった。
くわしいことはここを。

万国阿片条約

どこまでも欧米中心で、彼らの都合で世界のルールがきめられていたのが帝国主義の時代だった。

 

 

こちらの記事もいかがですか?

中国 「目次」

中国人ガイドも驚く「日本人の三国志好き」、その背景は?

変れぬ清(中国)①富国強兵したい!洋務運動が失敗した理由

新幹線の始まり「あじあ号」、明治(満州鉄道)から平成(JR)へ

 

4 件のコメント

  • 今回の記事も面白いですね。ところで賠償金がポンドではなくドルなのがわかりません。ご存知ならご教示いただけませんか。

  • 自国通貨かつ当時の基軸通貨ポンドより、米ドルを何故選んだのか不思議です。

  • コメントを残す

    ABOUTこの記事をかいた人

    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。