変れぬ清(中国)①富国強兵したい!洋務運動が失敗した理由

 

はじめの一言

「日本人は最高の感受性、芸術性、人間的機知に富み、同時に最高に無感覚で因習的で無神経です。また最高に論理的で博識で良心的で、同時に最高に不合理で皮相的で冷淡です。そして極めて堂々とし、厳粛で寡黙で、同時に最も滑稽で気まぐれで多弁です。

(シドモア日本紀行 講談社学術文庫)」

 

 

今回の内容

・洋務運動をやってみた。
・日本の富国強兵は成功
・中国は失敗した・・・。

 

・洋務運動をやってみた。

さて、ちょいと、中国の歴史でも学んじゃいましょうか?

「ヨーロッパの国の中から、日本に必要なものだけを選んでとり入れた」

この「選択と受容」が、明治日本が発展できたカギになる。
日本人は、ヨーロッパの国から良いところをみて「おいしいところ」をとり入れた。
このことで、日本は近代国家になっている。

 

でも、「国を変える」「近代化させる」っていうのは、ほんっとうに難しい!!
お隣の清(中国)をみるとそう思う。

19世紀、イギリスやフランスといった西洋の国々が中国の近く現われるようになった。

このへんの事情は、日本と同じですねえ。
で、1840年に、イギリスと中国はアヘン戦争をして中国は負けてしまう。
そして、香港をイギリスにとられてしまった。

「中国は、竜涎香(りゅうせんこう)でマカオを失い、アヘンで香港を失った」といわれるヤツ。

香港が中国に戻ってきたのは、1997年。
それまでは、イギリス領だった。

 

中国が戦争に負けた!
でも、北京にいた中国人には、危機感があまりなかった。。
次の文中の「夷狄(いてき)」は、野蛮人という感じ。

じつはこの阿片戦争こそ清朝崩壊の前哨戦であったにもかかわらず、北京中枢部の危機意識は、きわめて緩慢なものであった。端的にいえば、遠い南方辺境での夷狄とのもめごと程度の受け止め方であった。

(朝鮮儒教の二千年 姜在彦)

 

「危機的な状況なのに、危機感がない」というのは、もう、一番ダメ。
致命的だね。
危機感を感じなかったら、自分を変えようとしないから。

 

清が負けたことには、江戸幕府の方が危機意識を感じていた。

「外国船が来たら追い払え!」という異国船打払令(いこくせんうちはらいれい)をやめて、「水ぐらいあげてもいいか」という薪水給与令(しんすいきゅうよれい)に変えている。

アヘン戦争における清朝の敗北による南京条約の締結に驚愕した江戸幕府は、政策を転換し、天保13年(1842年)には遭難した船に限り給与を認める「天保の薪水給与令」を発令した。

(ウィキペディア)

 

そんなことだから、1856年の第二次アヘン戦争で、またまた中国は負けてしまう。

さすがに、このころから、危機感をもつ中国人がたくさんあらわれた。
「ヤバくね?中国を西洋の国に取られてしまうんじゃないの?」

それで、「中国はこのままではいかん、どげんかせんとかん!変えなきゃいけない!」という空気が高まる。

そして、国を変えるために始まったのが、「洋務運動(ようむうんどう)」というもの。

洋務運動

1860年頃から清で始まった、ヨーロッパの近代技術導入を中心とする富国強兵運動。

軍事工業部門から始まり、70年代には軽工業にも拡大、鉄道敷設や鉱山開発も勧められた。

(世界史用語集 山川出版)

 

洋務運動とは、どういうものか?
簡単にいったら、ここにも書いてあったけど明治の日本がした「富国強兵」。

 

 

・日本の富国強兵は成功

日本がした富国強兵を、中国もしようとした。

富国強兵

明治初期の国家目標。
欧米列強に肩を並べるため、経済発展と軍事力の強化による近代国家の形成を目標とし、スローガン化した。

(日本史用語集 山川出版)

 

「魔術的指揮棒の一振りで完成させた」
アメリカ人女性のシドモアが、明治時代の日本の変化をこう表現している。

日本の陸海軍の創設、警察機構、行政組織は諸外国の最高例を範とし、また教育機関は完璧で、米国、英国、ドイツも制度から得た賞賛すべき最高結合体となりました。

さらには郵便制度、灯台、電信、鉄道、病院も西洋と同じ方式を採用しています。

すべてこれらは、緩慢な成長、遅鈍な発達、悠長な必要性の所産ではなく、ほとんど自発的に日本帝国の魔術的指揮棒の一振りで完成させたのです(シドモア日本紀行 講談社学術文庫)

 

日本は、富国強兵がうまくいった。
とはいっても、江戸の社会から急に変わってしまったため、当然、混乱もおきている。

たとえば、郵便制度が登場したときは、こんなことがあった。テレビもラジオもネットもなかったこの時代、新しく始まった郵便制度というものを、庶民が理解するのはなかなか大変だったらしい。

郵便ことはじめの当時にはいろいろな珍談がある。

全国どこでもハガキが行くのなら、市内ではその半分ですむだろうというのでハガキを半分に切って使ったり、宛名をただ「をば様、東京にてウメ拝」と書いたり、また或いなか者が、東京の書状集箱(ポスト)に書いてある「便」の字を見て、「差入口」から放尿して罰金をくらったというウソのような話が残っている。

(うたでつづる 明治の時代世相 上)

 

・中国は失敗した・・・。

日本は、成功した。
でも、中国の洋務運動はうまくいかなかった。

清仏戦争・日清戦争の敗北により、思想や政治体制にはいっさいふれようとしない運動の限界が明らかとなった。

(世界史用語集 山川出版)

 

洋務運動は「経済発展と軍事力の強化」をねらいとしたもの。
だから、「思想や政治体制」にはいっさいふれようとしなかった。
これが、失敗の大きな原因となる。
特に、政治のやり方を変えたなかったというところが、イタイね。

でも、中国は変わらないいけない。

この当時の中国は「ヨーロッパの半植民地」という状態。
このままだと、中国という国がなくなってしまうかもしれない。

 

ということで、中国はとうとう、政治体制を変えようとした。
それが「変法(へんぽう)」というもの。
世界史をとった人なら、習った記憶があるでしょ?

それを次回書いていきます。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。