古代ローマ人と奈良時代の日本人の「お風呂に入るワケ」

 

7月26日は「7・2・6」で「夏風呂(な・つ・ぶろ)の日」。
熱をもって熱を制すの「以熱治熱」の精神で、夏こそカレー、夏こそ入浴だ。
38℃ぐらいの温度の湯に長めに入ると、心身ともにリラックスできてオススメですよ、とネットに書いてあった。
あったかい湯に入るのは日本人だけの習慣ではなくて、歴史を見ると、古代ローマの人たちもかなりの温泉ファンだった。

紀元前100年ごろのローマ帝国には各地に公衆浴場が整備されていて、そこで男女が入って、おしゃべりをして楽しむ。
古代ローマの浴場はそんな社交場のようなところだったらしい。
その後、皇帝コンスタンティヌス1世がキリスト教を国教にするとか、ローマ帝国にキリスト教が浸透していくと、公衆の面前でハダカになることは道徳的に良くないとタブー視されるようになり、入浴文化も廃れていった。

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日本に入浴の習慣は、仏教と一緒にやってきたという話がある。
といっても現代のように湯水に全身を浸かるタイプのものではなくて、蒸気でカラダを温めるサウナのようなもので、奈良時代のお寺には浴室が設置されたという。

そう言えばきょうニュースで、奈良時代の役所とみられている遺跡から、「かけ算の九九」の書かれた木簡が出土したと言っていた。
これは日本初ではなくて、九九の木簡はこれまでにも見つかっている。
「かけ算の九九」と「入浴」は奈良時代と令和の日本人の共通点だ。

閑話休題
奈良時代の日本では天然痘が流行したり天災が起きたりし、人びとの心が不安定になったことから、仏教僧が国家安定を願う読経を行っていた。
仏の力で国を守ろうとするのは、東大寺の大仏建立と同じ発想だ。
お坊さんはお経を読むまえに沐浴(入浴)をして身体を清めたから、寺院には浴室が設置されたという。

お風呂に入ることで「七病を除き、七福を得る」と仏教では言われる。
『温室経(おんしつきょう)』という経典には入浴することで、風邪、手足のしびれ、だるさ、不清潔などの「七病」を除くことができ、無病、清潔、運気上昇などの「七福」を得られると書いてとある。
体を洗って七病を解消し、七福を得ることも、仏教僧にとっては大切な仕事(業)だった。
鎌倉幕府も民衆に入浴するようすすめ、源頼朝は庶民に風呂を開放したこともある。

ということで、古代ローマ人にとってお風呂はいろんな人と楽しむ社交場で、古代日本では僧がお経を読む前に体を清めたり、「七病を除き、七福を得る」修行の一種だったのだ。

*奈良文化財研究所の お風呂のトリプル「七」を参照

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。