【奈良じゃない】秀吉、刀狩で日本一の“京の大仏”をつくる

 

銃のように引き金を引いて矢を放つクロスボウ。
殺傷能力はとても高く、2020年に3人がこれで殺される事件が起きた。
それで銃刀法が改正されてクロスボウの所持は原則禁止になり、その「経過期間」が今月14日に終わるから、それまでに処分するよう兵庫県警が所有者に呼びかけている。

神戸新聞の記事(2022/09/02)

クロスボウの廃棄期限迫る 兵庫県警「無料回収利用して」15日以降、所持は原則禁止に

県警はいま無料回収を実施しているから、それぜひぜひ利用してほしいと。
で、これにネット民の感想は?

・弓はセーフなんか?
・ゾンビ来ても勝たれへんやん
・無料回収ってずうずうしすぎるやろ
・いや金払えよ
・最近矢ガモみたいな話聞かないな
・本土決戦になったら何で戦えばええんや…

さて、日本の歴史の中でこの動きに一番近いものがあるとしたら、それはきっと戦国時代のアレだ。

 

主君の織田信長が1582年に暗殺された後、「日本の天下はオレがとる!」ときめた豊臣秀吉は1590年に関東の北条氏を滅ぼし、その野望を実現させる。
その直前、統一後の日本の統治を考えていた秀吉は、集団での武装蜂起を防ぐため農民に武装解除を命じた。
それが1588年の刀狩令で、 百姓から刀、弓、槍、鉄砲を取り上げることによって日本全国で兵農分離が進んでいく。
ちなみに秀吉はこれと同じころ、武器を使って村の争いを解決することを禁止した「喧嘩停止令」も出している。
全国の百姓が刀や鉄砲を持っている状態は、秀吉にとっては全方向で望ましくない。

 

ただ刀は名誉の象徴でもあったから、農民はこれを手放したくはない。
素直に応じない人間がいることは秀吉も想定内だったから、無理やり奪うのではなくて、農民がむしろ自ら進んで刀を差しだす案を考え出す。
「もうすぐ天下は統一されて平和な世の中になる。だからみんなで『武器よさらば』と言おう!」なんてお花畑のような作戦ではない。
失うことでもっと大きなモノを得られると、人びとに思わせればいい。
ということで秀吉は、没収した武器を材料にして京都にでっかい大仏を建てるゾ!提供した者はあの世でも救われること間違いなし!って宣伝した。

当時は信仰心の強い農民は多かったから、刀を無くすことで大きな功徳を得られると考えて、喜んで刀狩に協力した人は多かったと思う。

 

秀吉は有言実行の漢だ。
全国の農民から集めた刀、槍、鉄砲を使って、東大寺の大仏の高さ(約14.7m) を上回る約19mの日本一大きな仏像を京都に建立する。
江戸時代には、「大仏」とだけ言えばそれはこの京の大仏を指すようになり、奈良と鎌倉の大仏を合わせて「日本三大仏」と呼ばれた。
『東海道中膝栗毛』では弥次さん喜多さんが「大仏の手のひらに畳が8枚敷ける」と言っている。

でも残念なことに、京の大仏は不幸体質だった。
地震、雷、火事といったいろんな災いにあい、壊れたり全壊したりして、そのつど建て替えられて、 最後は4代目の木造の大仏が1973年(昭和48年)に火事で焼失した。
天下統一を間近にひかえた秀吉が「与えよ、さらば与えられん!」と、全国の農民から刀や鉄砲を集めて、それを材料に日本一の巨大仏を建立する。江戸時代には大仏の代名詞となるが、不幸がつづいて、最終的には昭和の時代に完全消滅してしまう。
でも一番不幸なことは、日本人の記憶から消えてしまうことだ。

だから、いなくなってしまった京大仏のこと、時々でいいから…… 思い出してください。

 

京の大仏の近くの餅屋では「大仏」の文字を入れた大仏餅が人気だった。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。