戦いに勝利することは、それだけで相手の名誉を奪うことになる。
そのうえで相手に屈辱を与えるのはやり過ぎで、時間が経って勝者と敗者が入れ替わると、巨大なブーメランが返ってきて自分にグサッと突き刺さる。
今回はそんな話だ。
1870年にフランスとプロイセン(ドイツ)との間で戦争がぼっ発。
この普仏戦争の最中、皇帝ナポレオン3世はセダンの戦いでプロイセンに捕まって捕虜となる。
その2日後の1870年のきょう9月4日、この失態を知ったフランス国民がパリで蜂起すると第二帝政は終了し、皇帝を排除したフランス第三共和政が始まった。
ちなみに皇帝から捕虜へ、華麗なる没落を体現したナポレオン3世はドイツへ連行されて翌年に解放された。
さっさと戦争を終わらせたかったプロイセンは新政府に和平をもちかけるも、「領土は1インチも譲り渡しはしない」とフランスに拒否される。
これで戦争は続行されて、最終的には「もうだめっぽい」とフランスが力尽きて降伏。
するとパリを占領したプロイセンはヴェルサイユ宮殿で皇帝の戴冠式をおこない、これによってドイツ帝国が誕生した。
首都を奪われ、国の象徴であるヴェルサイユ宮殿まで踏み荒らされて、最大級の屈辱を与えられたフランス国民は激怒する。
でも、圧倒的なドイツには何も言えない。
普仏戦争の講和条約は、仮条約がヴェルサイユで結ばれて(正式にはフランクフルト)、フランスはアルザス=ロレーヌ地方をドイツに奪われ、さらに50億フランというばく大な賠償金の支払いこととなった。
「私がみなさんに授業をするのは、これが最後です」とフランス語の先生が言った『最後の授業』は、アルザス地方がプロイセン領となる時の物語だ。
これから授業で使われる言葉はドイツ語になると。
ただアルザス語はドイツ語に近いから、実際には人びとが特に困ることはなかったらしい。
作者のフランス人ドーデが事実を無視して愛国心をあおり、ドイツを悪者に仕立て上げようとしたという批判もあって、いまでは日本の教科書に『最後の授業』は載っていない。
でもこの時、フランス国民が抱いたドイツへの憎悪はホンモノだ。
プロイセン国王ヴィルヘルム1世がヴェルサイユ宮殿でドイツ皇帝に即位し、ドイツ帝国成立を宣言する。
その恥辱から約50年後、待ちに待ったフランスのターンがきた。
フランスは連合国の一員として第一次世界大戦に参加すると、今度はドイツ軍をぶちのめし、敗北したドイツ帝国は崩壊する。
そして1919年に、講和条約の調印式がヴェルサイユ宮殿の鏡の間で行われた。
鏡の間は「平和の間」と「戦争の間」を繋ぐ回廊であり、また、かつて普仏戦争の仮条約締結と、ドイツ帝国の成立が宣言された場所でもあった。
フランスは50年前の屈辱の場所で、今度は勝者として、ドイツに屈辱的な条約の調印をさせたのだ。
そしてドイツはアルザス=ロレーヌ地方を放棄させられる。
報復感情が満たされたフランス国民は「ヤラレターラ、ヤリカエース、倍返しだ!」と口々に叫んだという。(いや知らんけど)
ヴェルサイユ条約の調印
ただフランスはやり過ぎた。
ヴェルサイユ条約でドイツに科させられた制裁はあまりに重く、多くのドイツ国民はこれを屈辱と感じ報復を望むようになる。
例えばドイツの歴史家ハーゲン・シュールゼ は「法的制裁を課され、軍事力を奪われ、経済的に破滅、政治的に侮辱された」と述べる。
そして今度はドイツのターンがやって来て、第二次世界大戦がぼっ発する。
自分に保険をかける意味で、少しは相手に名誉を残しておいたほうがいい。
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