なるほど。
きょうは533年に、東ローマ帝国とヴァンダル王国との「ヴァンダル戦争」で、敵軍を撃破した東ローマ帝国軍が首都カルタゴに入った日か。
ヴァンダル王国はいまの北アフリカ、チュニジアやアルジェリアのあたりにあった国。
この戦争で宿敵だったヴァンダル王国を滅亡させて、かつての領土を取り戻した皇帝ユスティニアヌス1世は大きな自信をつけることとなる。
ヴァンダル王国はしょせん踏み台だからスルーして、ここでは古代ヨーロッパ史の超重要人物、ユスティニアヌス1世について知っていこう。
その業績から、彼は現在のヨーロッパ世界でとても高く評価されていて、日本の高校世界史では太文字になるレベル。
「皇帝オブ皇帝」として、ユスティニアヌスは「大帝」とも呼ばれる。
そんなユッティを3つの面から見ていこう。
ユスティニアヌス1世(483年~565年)
・武の人
533年にヴァンダル王国をぶっ倒してその地を奪い、さらに東ゴート王国との戦争に勝ってイタリア半島を支配し、さらにさらに西ゴート王国とも戦ってイベリア半島(スペイン)の南部を領土とした。
特にヴァンダル王国からローマを奪い返したことはデカい。
つまりそれまでは、ローマの無いローマ帝国だったことになる。
連戦連勝して国土を広げることのできた皇帝は、どこの国でも英雄として尊敬される。
この点、日本史でいうなら織田信長だ。
桶狭間の戦い、姉川の戦いで、長篠の戦いなどで勝ちまくって領土を広げつづけ、天下統一が見えてきたところまで到達した。
そんな武人の信長はユスティニアヌスと重なる。
東ローマ帝国の領土の移り変わり (Roke~commonswiki)
550年のユスティニアヌス時代と、その後の没落っぷりに注目してほしい。
・信の人
ユスティニアヌスの大きな業績の1つに、ハギア・ソフィア大聖堂(いまのアヤソフィア)の再建がある。
キリスト教の守護者だった彼は東ローマ帝国の歴史の中でも、最高傑作といえる空前の大聖堂を完成させた。
その瞬間、古代イスラエル王国の伝説的なソロモン神殿をも超えたと思い、彼はこう叫んだという。
「神に栄光あれ! ソロモンよ、我は汝(なんじ)に勝てり!」
このハギア・ソフィア大聖堂はその後、キリスト教正教会の総本山となる。
ユスティニアヌスのこうした信仰心の強さや神への忠実さは、多くの仏教僧とセットで延暦寺を焼いた織田信長とはまったく違う。
仏教を深く信じてその力で国を守ろうと、世界的にも有名な奈良の大仏を建ててた聖武天皇に近い。
現在のアヤソフィア
対外的には何度も戦争をしかけて、国内では巨大建造物を建てたとしたら、国のお金がみるみる蒸発してしまうのはアタリマエ。
それでユスティニアヌスは国民に重税を課したから、人びとは疲れて心は皇帝から離れていく。
彼が引き起こした国家財政の破たんによって、ユスティニアヌスの死後、国は弱体化し多くの人びとが苦しむこととなる。
ユスティニアヌスを偉大にした理由は、そのまま東ローマ帝国の衰退の原因になったわけだ。
・法の人
その功罪を考えると、ユスティニアヌス1世が永遠の名声を得た理由は「ローマ法大全」を完成させて、法による国の統治を確立したことでは。
彼は法学者に命じて古代ローマの法律を整理させ、ローマ法大典としてまとめた。
これはその後のヨーロッパ社会の法の制定や、法の統治に大きな影響を与えることとなり、現代のヨーロッパ社会の法治の基礎となる。
ローマ法大典の歴史的意義は聖書に匹敵すると言われるほど画期的で、しかも戦争や建築と違って国民にはノーダメージ。
日本史でいうなら、これは8世紀の大宝律令だ。
大宝律令が制定・施行されて法による統治が始まり、日本が律令国家になったことは、ローマ法大典後の東ローマ帝国と似ている。
ただ、これを命じた持統上皇や文武天皇はあまり知られていない予感。
ちなみにこのとき定められた、役所の文書には元号を使う、印鑑を押すといったルールは令和の日本でも続いている。
ということで要素だけでいうと、「織田信長+聖武天皇+大宝律令=ユスティニアヌス1世」の方程式が成立する。
だから、彼は古代ヨーロッパの歴史における超重要な人物で「大帝」と言われるのだ。
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