【君の名は】日本人よ、これが70年代のカンボジア大虐殺だ

 

初めて人と会ったら、まずは自己紹介をするのが人間社会のルール。
それで自分が先に名乗ると、相手から「わたしの名前はバファリンです」「正露丸といいます。よろしく」と言われたとしたら、冗談なのか何なのかまったくイミが分からない。
自分の子どもに薬の名前をつけるという発想は、男(あだむ)、心姫(はあと)、奏夢(りずむ)といったキラキラネーム以上にナゾだ。
そんな日本では考えられないことでも、1980年代のカンボジアならあり得る。

 

先週の22日、カンボジアの裁判所でキュー・サムファン被告が終身刑を言い渡された。
日本では東京ディズニーランドが開園する(1983年)ちょっとまえの1970年代後半、ポル・ポト政権下のカンボジアでは大虐殺が行われて150~200万人が亡くなった。

まだ人類が見たことのないスバラシイ「理想社会」を実現するためには、旧社会の知識はジャマになるとポル・ポト政権は主張し、教師や仏教僧などの知識人を次々と処刑していく。
メガネをかけているだけで、知識人と見なされ殺害された人もいる。
こうした処刑や強制労働、病気などで、当時のカンボジアの人口の4分の1が命を奪われて、いまでは日本の高校世界史でならう世界史レベルの悲劇になった。

その現場となった処刑場(キリング・フィールド)では高価な銃弾は使われず、原始的で激しい苦痛をともなう方法が採用された。
赤ん坊や子どもは堅い木に激しくぶつけられて絶命し、大人はこんな状態だ。

大鎌、釘、ハンマーといった金属製品を使って夜中に殺害され、集団墓地に葬られた。しばしば、彼らの悲鳴が、民主カンプチアのプロパガンダ音楽を流すスピーカーや発電設備の雑音で覆い被された。

カンボジア大虐殺 

 

「地雷を踏んだらサヨウナラ」という言葉を残して、カンボジアへ行った写真家の一ノ瀬泰三もこの大虐殺の犠牲者だ。

政権崩壊後、こんな「理想社会」を実現しやがったポル・ポト派の元最高幹部の責任を追及する裁判が始まる。
そして先週、国家幹部会議長をしていてキュー・サムファンがジェノサイド(集団殺害)などの罪に問われ、二度とカンボジア社会に出てくるなと言い渡された。
16年かけて行われた特別法廷はこれで終了だ。

 

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キリング・フィールド
1990年代にここへ行った時、死者を弔うために遺体を掘り起こしているという話を聞いた。

 

最大悪のポル・ポトは特別法廷と関係なく1998年に亡くなって、遺体は古タイヤと一緒に焼かれた。
1979年1月7日にポル・ポト政権が崩壊したから、いまのカンボジアでこの日は「虐殺政権からの解放の日」という祝日になっている。

 

ポル・ポトの墓

 

こんな考えさせられる闇歴史もあれば、アンコール・ワットという日本じゃ考えられない遺跡もあって、カンボジアは魅力満載だからこれまで何度も旅行した。
その時にお世話になった日本語ガイドでとても印象的な人がいる。
早朝、約束の時間に宿へやってきたガイドと会って、まずはお互いに自己紹介を交わす。
男でも心姫でも奏夢でも、名前にはその国の文化や考え方が表れているから、20代の青年ガイドに名前の意味を聞くと、「これはカンボジアで有名な薬の名前です」とニコニコしながら言う。

なるほど。
日本でも「バファリン君」や「正露丸さん」はよくいるわけあるかー!
「親ガチャ」に外れたのでなかったら、そのネーミングは一体どういう発想から生まれたのか?

ワケを聞くと、そこにあったのはポル・ポト時代の闇。
カンボジアでは伝統的に、親がお坊さんに相談して縁起の良い名前を子どもにつける。
でも、暗黒時代を生き抜いた両親が彼を生んだ時、お坊さんは虐殺のターゲットになったため、周囲に1人もいなかった。
身内で相談しても、誰も名前のつけ方が分からない。
それで「ずっと健康でいてほしい」という願いから、とても良く効くと評判だった薬の名前を採用することにした。
それで日本でいえば、「バファリン」とか「正露丸」といった商品名がヒトの名前になる。
ポルポト派がどれだけカンボジアの人や社会を破壊したか、思わぬ形でその一端に触れたから、この時の自己紹介はとても印象に残っている。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。