数年前に京都旅行をした時、イスラエルから来た2人のユダヤ人と宿で出会って、次の日に鞍馬寺を案内することになった。
ユダヤ教徒は日本のお寺でナニを思うのか?
そんな好奇心を隠しつつ様子を見ていると、まず彼女たちは手水場で手に水をかけただけで、口に入れてゆすぐのは拒否する。
異教の”聖水”を体内に入れることには抵抗があるらしい。
境内に入ると、しめ縄の巻かれたご神木があった。
彼女らはそれをめずらしそうに見て写真を撮っていたから、「一緒の写真を撮りましょうか?」と提案したけれど、木に神が宿るという発想はユダヤ教では厳禁されているから、その隣に立って写真を撮ることはできないとこれも却下。
一緒に鞍馬寺を歩いていて、ユダヤ教はいつどんなふうに誕生したのか聞くと、「良い質問ね。でも、それをひと言でいうのはムリ。グーグルに聞いて」とニッコリ笑って、その後に「バビロン捕囚」のときにユダヤ教が確立したという話をする。
きょう10月17日はウィキペディアによると、紀元前539年にバビロンのユダヤ人が解放された日だ。
その60年ほど前、新バビロニアの王ネブカドネザル2世がユダ王国の首都エルサレムを制圧すると、多くのユダヤ人をバビロンへ連行しそこに住まわせた。(バビロン捕囚)
でも、ヒーロー(救世主)が現れる。
ペルシャ国王キュロス2世が新バビロニア王国を倒したことで、バビロンにいたユダヤ人は自由の身となった。
日本でいえば弥生時代、人びとが森に入ってドングリを拾っていたころの中東の歴史だ。
圧倒的な数の異教徒に囲まれた中で60年間も生活していて、彼らは改めて自分たちについて深く考えるようになる。
まず今回、国が滅亡して囚われの身になった不幸は、かつてエジプトで奴隷状態になったことと同じように、偶像崇拝や神への不従順に対する「神罰」と考えた。
そして自分たちの国や信仰の中心だったエルサレム神殿が無くなっても、ユダヤ教の教えが書かれているトーラー(律法。後に聖書の一部になる)さえあれば、アイデンティティーを失うことはなく、ユダヤ教徒として生きていけることを確認する。
いまに続くユダヤ教の原点はこの期間にある。
手水やご神木で「NO」と言ったユダヤ人の発想も、ルーツをたどるときっとここに行きつく。
イスラエルの哲学者で聖書学者の「Yehezkel Kaufmann」は囚われていた期間に、イスラエルの宗教は終わりを迎え、ユダヤ教が始まった。バビロンへの流刑はその分水嶺になったと指摘する。
Israeli philosopher and Biblical scholar Yehezkel Kaufmann said “The exile is the watershed. With the exile, the religion of Israel comes to an end and Judaism begins.”
![](https://i0.wp.com/yukashikisekai.com/wp-content/uploads/2022/10/800px-Tissot_The_Flight_of_the_Prisoners.jpg?resize=354%2C242&ssl=1)
住む国を失い、バビロンへ連行されるユダヤ人
この時代のユダヤ人はエジプトで奴隷に、バビロンで囚人になった不幸の原因を「神罰」と解釈した。
となると彼らの信仰は深くなるしかない。
だからその後、ヨーロッパで迫害を受けても改宗は拒否して、神への忠実さを選んで殺害されたユダヤ人は多かった。
聖書さえあれば自分たちはユダヤ人、ユダヤ教徒でいられるーー。
そんな「国の無い民」にも限界はあった。
2日前の10月15日、1894年のこの日にフランスでドレフュス事件が起きた。
フランス軍の大尉でユダヤ人だったドレフュスが、ドイツのスパイ容疑で逮捕され、有罪判決を受けて島流しになる。
でも後に彼は無実で、すべて軍部によるでっち上げと分かってフランス軍の権威は失墜する。
新聞記者だったテオドール・ヘルツルはこの事件で、ユダヤ人に対する差別や偏見にショックを受けて、ユダヤ人による国家の建設を目的とするシオニズム運動を提唱し、これが1948年のイスラエル建国へとつながっていく。
約2000年前に失われた祖国を復活させたこともスゴイが、その間、ユダヤ教徒としてのアイデンティティーを失わなかったことはさらにスゴイ。
もし弥生時代の日本人が海外に連行されたら?
当時は文字もトーラーのような書も無くて、アイデンティティーを保つ方法なんて皆無だったから、きっと現地に同化してそんな民族は消滅していた。
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