きょう11月1日は1587年に、豊臣秀吉が京都の北野天満宮で 北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)を開いた日。
この年の7月に九州を手に入れた秀吉は、3年後の1590年に天下統一を果たすこととなる。
その「秒読み段階」に入ったこのころ秀吉は、京都の公家や民衆に自分の偉大さを印象づけるため、日本の歴史で最も有名になる茶会を開催することにした。
伝説的な「黄金の茶室」が登場したのもこの時だ。
その精神はいまも日本人に受け継がれていて、21世紀には万博で「黄金のトイレ」を出展して世界を驚かせる。
“ほぼ天下人”になった秀吉は北野大茶湯を、それまでの日本になかった画期的なイベントにする。
まず茶会の客は来るもの拒まず、誰でもウェルカム。
茶の湯の好きな人(数寄者)であればどんなに貧しくても、地位の低い人間でもかまわないとして、秀吉は身分制度をぶっ壊し無礼講とした。
茶席のホストとして千利休・津田宗及・今井宗久といった、当時の日本の茶道界の頂点に立つ「神3」を呼んで、秀吉も茶室でお茶を点てることにする。
客は公平にくじ引きで決められて、一般人や“下賤”な人間が上の人たちと個室で向き合って、出された食べ物とお茶をいただくという、戦国時代の日常ではあり得ないことが行われた。
今でいうなら抽選に当たると、天皇陛下にお茶を点てていただくとか、ローマ法王に紅茶を作ってもらうとかきっとそういうレベルだ。
これは、イスラム教徒のバングラデシュ人女性が茶道体験をしたときの様子。
これまでにバングラデシュ人、トルコ人、イギリス人、タイ人、アフリカ人などいろんな外国人を茶道体験に連れて行ったことがある。
その経験上、宗教や人種の違いを超えて、「へ~」「ほ~」とみんな感心したのが茶室の「躙口」。
読み方は「にじりぐち」で、これは茶室の小さな入口のこと。
外国人に躙口を見せて「これは何でしょう?」と聞くと、「空気を取り入れる窓」とか「茶道に必要なモノを使用人が差し入れるところ」といった答えが返ってくる。
いまのところ、ここを客の入口と分かった人は一人もいない。
こんな小さなところから人が入ってくるーー。
そんな日本人独特の発想は外国人の常識や想像力の圏外にあるから、「え?これが入口?」と二度聞きされることもしばしば。
もちろん、これにはそれなりのワケがある。
まず入口を小さくすることで、せまい室内が大きく見えるという視覚効果が期待できる。
茶室とは特別な空間で、ここでは誰もが平等な立場でいるのがお約束。
だから武士の場合、躙口を通るためには刀を外に置いて丸腰になって、頭を下げて入室することになる。
誰もがこうして躙口から入ってくる。
だから茶室の中は、封建社会では常識の「身分」が無くなって平等な空間となって、人と人とが対等に向かい合う非日常的な場に変わるのだ。
こういう茶道の精神が好きな外国人はよくいる。
日本文化を紹介するある英語サイトでは、躙口とは客が使うもので、腰を曲げて入ることは、茶室ではすべての客が社会的地位に関係なく、平等であることを象徴していると説明する。
And entering the tea room while bending like this, is a symbol that inside, during the tea ceremony, all guests are equal, regardless of their social status…
Masterpieces of Japanese traditional architecture, Nijiriguchi
日本で最も有名な北野大茶湯でも、特に重視されていたが「平等」だ。
相手がどんなに地位の低い人間でも、茶室という特殊空間では、豊臣秀吉は対等な立場で心を込めてお茶を点てたはず。
こういう茶道の哲学というか、精神文化は日本独特のものだから、そこに魅力を感じる外国人は多い。
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