朝鮮半島から日本へ仏教が伝わった(公伝)6世紀、東ローマ帝国ではユスティニアヌス1世が皇帝に即位した。
彼が編纂(へんさん)させた「ローマ法大全」がスゴイ。
これには聖書に匹敵する歴史的意義があって、ヨーロッパ諸国の法の土台となった。
11月16日は534年に、そんなローマ法大全の一つである「新勅法彙纂(ちょくほういさん)」が公布された日だ。
東ローマ帝国は首都をコンスタンティノポリス(イスタンブール)とし、いまのトルコを中心に栄えていた国で、フランスやドイツなどの西ヨーロッパ世界にはほとんど影響力をもっていなかった。
ローマ法大全という本格的な法概念のなかった時代、もめ事があった場合、西ヨーロッパではどんなふうに人を裁いていたのか?
*未発達なゲルマン法はあったから、法治がなかったわけではない。
そんな時は当事者同士が一対一の決闘をしたり、人知を超えた神に判断してもらっていたのだ。
「神は偉大な存在で、必ず正しい者の味方をする。それなら、普通は死ぬか大ケガをするようなことをしても、その人間に罪がなければ奇跡を起こして助けてくれるはず。」
そんな考え方があって、中世ヨーロッパでは真実を神にゆだねる神明(しんめい)裁判がキリスト教の聖職者によってよく行われていた。
その代表的な方法が火を使ったもの。
例えば、農具の鋤(すき)の鉄の部分を真っ赤に熱して、素足でそれを踏む。
通常なら大やけどをするところ、それがまったく無いというミラクルが起これば、神がその人間の無罪を証明したことになる。
もしケガをしたり死んだら、そいつは悪人や罪人だったという結果論。
「神はいつも絶対に正しい。だから善人なら必ず助けてくれる」という考え方を逆算すると、こんな残酷な発想が出てくる。
アイロンのように熱くなった鉄を踏む歩く女性(11世紀)
11世紀のイングランド国王・エドワード懺悔王の母親のエマは、聖職者との姦淫(性的関係)を疑われた時、燃えた鋤の刃を無傷で歩いて無実を証明したという話がある。
According to legend, she was accused of adultery with Bishop Ælfwine of Winchester, but proved her innocence by walking barefoot unharmed over burning plowshares.
熱した鉄の棒を平気で持って、無実を証明する女性
神は絶対に間違えない。全知全能の神に正しい判断をしてもらう…。
そんなことを言いつつも実際には、火や鉄などによって判断する裁判が中世ヨーロッパでは行われていた。
こんな神明裁判のアホさに気づいて、廃止された大きな理由にローマ法大全がある。
これが西ヨーロッパ世界で広く知られるようになり、その研究が進んで合理的な思考が社会に浸透していく。(大陸法)
ローマ法大全で“覚醒”する前のヨーロッパは、わりと無知で残酷な闇社会だったのだ。
コメントを残す