サッカー杯で日本が「2-1」でドイツに勝利して、「よっしゃあああああああー!」の歓喜の声がこだましたきのう深夜の日本列島。
大阪では“道頓堀川ダイブ”を阻止するために、警察官が橋に勢ぞろいしたという(なぜ飛ぶ?)。
この試合を放送したNHKの視聴率は最高で40%を超えたから、ABEMAを合わせたらとんでもない数字だ。
この勝利にイタリアメディアは「日本が偉業を成し遂げた」、スペインメディアは「革命を起こした」と称賛の拍手をおくる。
日独の両チームとも、イエローカードが1枚も出なかったのもフェアですばらしい。
この試合では日本代表のスタメンのうち、ブンデスリーガ(ドイツ1部)の選手が5人と約半数を占めた。
対するドイツは、最強チームのバイエルン・ミュンヘンに所属するミュラー、ムシアラ、キミヒ選手が出ていて、客観的に見ればドイツは日本の上位互換と言っていい。
これが世界を驚かせる伏線になった。
にしてもこの試合で改めて思う、日本人の学習能力の高さよ。
戦後の日本サッカーが理想としたのは、W杯で4度の優勝を果たした強豪国のドイツだった。
それで「ドイツに学べ」という雰囲気が盛り上がって、1960年に西ドイツからデットマール・クラマー氏を日本代表コーチとして招き、日本はサッカーを本格的に学び始める。
「ドイツ代表にはゲルマン魂がある。日本人は大和魂を持っているのか?」
クラマー氏が日本選手に言ったこの言葉はもはや伝説。
「もっとボールをかわいがれ。ボールを嫌えば、ボールも君を嫌う」なんて、つばさ君みたいなことも言う。
そんな師の熱い指導に選手が応えて、日本は東京五輪でベスト8進出、68年のメキシコ五輪では銅メダルを獲得した。
「日本サッカーの父」と呼ばれるクラマー氏なら、「日本はワシが育てた」と言ってよし。
そんなドイツの恩人が亡くなって時間が流れて、日本代表はきのうW杯の大舞台でドイツ代表を撃破した。
GKのノイアー選手は、「最後は意志が決め手だった。日本は本気で何かを手に入れたいと思っていた」と脱帽する。
2得点を奪ってドイツにとどめを刺したのは、ブンデスリーガで鍛えられた堂安律・浅野拓磨選手だった。
試合後、森保監督は「日本サッカーを育ててもらった」とドイツに感謝や敬意の気持ちを表す。
出藍之誉(しゅつらんのほまれ)と言うし、弟子がするべき恩返しは師匠を超えることだ。
韓国メディアもこんな日本とドイツの関係に注目した。
中央日報(2022.11.24)
<W杯サッカー>模倣で始めて元祖を倒した…ドイツに勝利した日本の進化
*「模倣」という韓国らしい表現は、学習能力の高さというほめ言葉と受け取っておこう。
1990年にJリーグが始まった時、日本は代表チームの練習場や練習システムでドイツをモデルにしたという。
そして、Jリーグで開花した選手をステップアップさせるために、ヨーロッパへ送るプロジェクトはドイツを中心におこなわれた。
日本が歴史的に、ヨーロッパに衝撃を与えたことと言えば何といってもアレだろう。
”鎖国”を終えて江戸幕府も無くなった明治時代の日本に、シドモアというアメリカの女性がやってきた。
明治維新の大改革によって、社会をすぐに一変させた日本人にシドモアは驚きを隠せない。
政治的にも社会的にも、日本人は西洋世界を手本にし、その結果による王政復古は、今世紀最大の驚異的政治問題を提示しました。
古い秩序の突然の放棄、そして近代的秩序の出で立ちで武装する国民皆兵が、直面する危機解決の最も現実的永続的手段としてただちに導入された事は、少なくても欧州の間ではたいへんな驚きでした
「シドモア日本紀行 (講談社学術文庫)」
桜をアメリカに紹介して、「全米桜祭り」のきっかけをつくったエリザベス・シドモア。
いまは横浜の外国人墓地に眠っている。
西洋世界を手本にして、日本人は日本をドラスティックに変えて、西洋人の目に「今世紀最大の驚異」と映る状態をうみ出す。
遣唐使の時代にも日本人は中国の良いところを取り入れて、日本の社会や文化を大きく発達させた。
その高い学習能力でこれからも世界を驚かせるはず。
とりあえず、いまのW杯でベスト8に入るとか。
イギリス人が見た日本・日本が世界の歴史で初めてした誇っていいこと
「Why did you come to Japan(You は何しに日本へ?)」は失礼な質問?
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