【演説の歴史】アメリカ人が日本で感じた学校教育の違い

 

日本の中学校で英語を教えていたアメリカ人に、日米の教育の違いについて聞くと彼女はまず、「アメリカの学校では昼食のメニューに納豆がない」と言う。(あれはトラウマらしい)
それと授業では、アメリカでは自分の考えをしっかり相手に伝えることを重視しているけど、日本ではそうしたテクニックよりも協調性を大事にしていると指摘する。
まあそりゃそうだろう。
言うことがアイマイなアメリカ人と、自己主張の強い日本人の組み合わせなんてマンガになる。

大学で言語学を専攻した彼女の話では、自分の意見を分かりやすく、説得力をもって伝えるスピーチの能力が欧米社会で重要とされているのは、2000年以上前の古代ギリシャ・ローマ時代からの伝統だ。
それを代表する人物が古代ローマの思想家で政治家のキケロ
きょう12月5日は、紀元前63年に彼が有名なカティリナ弾劾演説を行った日とされる。
クーデターを計画していたカティリナに対して、キケロが元老院で大勢の議員の前で弾劾演説をして、そのたくみな言説でもってカティリナの陰謀を止めることに成功した。
この一件で名声を得たキケロは、古代ローマ最高の弁論家と言われるまでになる。

そんなキケロさんの名言がこちら。

・どんなものでも始まりは小さい。
・思ったことを口にしてはいけない。
よく考えてから、口にするべきだ。
・嘘つきは真実を語っても信用されない。

 

元老院でカティリナを非難する演説を行うキケロ

 

ヨーロッパとは違って日本では伝統的に、自分の意見を述べて聴衆の心を動かすことは重視されていなかった。
沈黙は「金」と日本では言われるが、欧米なら「無能」と判断される予感。
明治時代になって欧米の文化や制度を積極的に学んでいたころ、福沢諭吉がこれからの日本人には、たくさんの人に向かって自分の意見を伝える「Speach(スピーチ)」の能力が大事になると考えて、 この言葉を日本語訳して広めた。
はじめは「演舌」だったのを、舌の字はあまり良くないということで、同じ音の説にして「演説」にしたという。(演説
もともと「演説」とは人びとに道理や真理を説き明かすという意味の仏教語で、諭吉以降、もうこの意味で使われることは日常ではなくなった。
1874年6月27日に福沢諭吉と門下生によって、日本初の演説したということで、この日が「演説の日」になっている。

キケロが元老院でカティリナ弾劾演説をしていたころ、日本にはまだ文字すらなく、人びとは森に入って鹿を追いかけたりドングリを拾っていたのだ。
明治時代になってようやく「演説」が始まったのだから、そりゃ圧倒的な違いになるワケだ。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。