日本へ旅行にきた台湾人女性とご飯を食べに行った時、レストラン(というか食堂)で彼女を一時停止させた一品がこちら。
台湾人も漢字を使うからこそ、「南京の煮物」の意味が彼女には1ミリも分からない。
中国にある都市・南京と、「カボチャ」や「煮る」には一体どんな関係が?
不思議の世界に迷い込んでしまい、「南京の煮物」をじっと見つめる台湾人がそこにいた。
日本ではカボチャを「南京」と言うこともあるから、こんな食べ物ができたのだけど、アメリカ人やインド人ならともかく、同じ漢字文化圏にいる台湾人には、分かるからこそ理解できないという現象が生まれてしまう。
でも日本人からすると、分かりづらいのは「台湾の南京」だ。
面積は九州よりチョット小さいけど、人口はかなり多いのが台湾。
(台湾:約2340万人、九州:約1400万人)
外務省ホームページにある「台湾 基本データ」を見ると、1949年のきのう12月7日、台北に「臨時首都」を遷都したとある。
臨時とは「一時的な、かりそめの」といった意味で、日本では一般的に、本命の彼女(彼氏)が現れるまでの空白期間を埋める人を指す。しらんけど。
日本にも明治維新から現在までの間で、一度だけ日清戦争(1984~85年)の時に広島市が臨時首都になったことがある。(広島大本営)
これはホントに臨時で、すぐに東京へ戻された。
では、台湾の「リアル首都」はどこなのかというと、きっと南京だ。
まず1911年にぼっ発した辛亥革命によって清王朝が滅亡し、孫文をリーダーとする中華民国が誕生した。
だがしかし、そのあと中国は国民党と共産党とに分裂し、どちらが真の統治者かをかけて、互いにとって「絶対に負けられない戦い」が始まる。
それを国共内戦という。
国民党の蔣介石政権は1931年に、「中華民国の国都は南京に定める(中華民國國都定於南京)」と初めて法律に明記した。
これで中華民国の公式の首都は南京となる。
でも、「うおおおりゃああああああ!!!」と共産党の軍が怒とうの勢いでやってくると、1949年4月に南京を制圧し、蔣介石政権はそこから追い出された。
そして12月7日に台湾へ政府を移転させ、台北市を「臨時首都」にする。
2022年の視点から見ると、中華民国(台湾)の首都は1931年から法律で南京とされていたが、1947年に制定されたいまの憲法では、正式な首都は明確にされていない。
でも歴史的な経緯から「公式な首都」は南京とされ、いまなら50代の台湾人は学校でそう習ったという。
でも、このまえ話をした20代の台湾人は「それはどこの台湾人ですか。初めて聞きました。年齢の高い人じゃないですか?」と驚く。
その台湾人の認識では、台湾の首都は台北だ。
一般的な台湾人の考えもこれと同じだけど、「公式な首都」なら、否定はされていないから今でも南京だろう。
ちなみに、東京も法的には「日本の首都」と定められていない。
一方、中華人民共和国はそんな主張は認めず、台湾は中国の一部「台湾省」と考えている。
国連や日本も公式にはこれと同じ立場だ。
ということで「台湾の南京」は「南京の煮物」より、はるかにずっと複雑だった。
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