中国と台湾の歴史と関係 辛亥革命から国共内戦、そして現代

 

10月10日は、日本では高橋留美子さんの誕生日だから、ネットでは祝福の声が上がった。
同じ日、ある台湾人はSNSにこんなお祝いのメッセージを投稿した。

「祝福台灣生日快樂國運昌隆
Happy Birthday, Taiwan 🇹🇼」

一方、日本にいる中国人は10月10日にこんな投稿をする。

「辛亥革命記念日
清を倒し、中華の共和国を建てた義士たちに敬礼!」

ということで、今回は中国と台湾の複雑な歴史や関係について書いていこう。簡単に言うと、中国の人たちは団結することが本当に苦手らしい。

 

1911年のこの日、辛亥(しんがい)革命が起こり、翌1912年に清王朝が滅亡し、中華民国が建てられた。
台湾人にはとってこれが建国にあたるから、「Happy Birthday, Taiwan」となる。10月10日と「10」が2つあるから、台湾の人たちはこの日を「双十節」と表現する。
一方、辛亥革命によって、中国最後の皇帝で、即席ラーメンが大好きだった溥儀が退位した。

中国皇帝も愛した「チキンラーメン」、史上最高売上を記録

この革命のリーダーだった孫文は、中国でも台湾でも尊敬されている。
戦後ずっと、中台は政治的に対立しているから、そのどちらからも高い評価を受ける近代の政治家は珍しい。
ちなみに、孫文は中国や台湾で「孫中山」と呼ばれていて、中国に行くと「中山路」、「中山市」、「中山公園(公園)」などこの偉人にちなんでつけられた場所がよくある。
しかし、この「中山」が日本人名であることを知る中国人は少ない。

 

この革命のリーダーだった孫文は、中国でも台湾でも尊敬されている。
戦後ずっと、中台は政治的に対立しているから、そのどちらからも高い評価を受ける近代の政治家は珍しい。
孫文は中国や台湾で「孫中山」と呼ばれていて、中国に行くと「中山路」、「中山市」、「中山公園(公園)」などこの偉人にちなんでつけられた場所がよくある。
しかし、この「中山」が日本人名であることを知る中国人は少ない。

この後、袁世凱が中華民国を「乗っ取った」ことで、孫文と袁は対立するが、袁世凱は1916年にこの世を去る。
すると今度は、袁世凱の後を継いだ北京政府と孫文との戦いが始まった。
孫文は1919年に国民党を結成したが、中国統一を見ることなく、「革命いまだ成らず」と言って1925年に亡くなる。
ちなみに、孫文が着ていた人民服(中山服)は、国民党の軍事顧問を務めていた日本人、佐々木 到一が考案したとされる。
そのすぐ後、蔣介石が国民党の主席になると、彼が北京政府をぶっ倒す「北伐」を行い、1928年にそれをミッションコンプリート。
しかし、戦いはまだ終わらなかった。

 

人民服を着た習近平国家主席

 

国民党と北京政府がバトっている間の1921年、毛沢東らによって上海で共産党が結成された。国民党と共産党では、価値観や考え方が合わなかったから、対立する運命は避けられなかった。
しかし、蒋介石と毛沢東はケンカばかりしていたわけではない。
1924年から27年は北京政府という共通の敵と戦うためにタッグを組み、1937年から45年までは、対日本で協力関係を結んだ。これをそれぞれ第一次国共合作、第二次国共合作という。

日本がアメリカに降伏して日中戦争が終わり、日本軍が中国から撤退すると、今度は国民党と共産党による血で血を洗う戦いが始まらなかった。
「もう争いをやめて、一緒に新しい中国をつくっていこうぜ」という内容で両党が合意し、1945年10月10日に調印が結ばれた。
これが「双十協定」と呼ばれる理由は、もはや言うまでもない。
下の写真はその時の蒋介石と毛沢東を写したもの。

 

蒋介石(左)と毛沢東(右)

蒋介石「見えるかい? 新しい中国が」
毛沢東「ああ、ともに築いていこう」

そんな会話をしてそう。

 

両者は北京政府が崩壊した後に戦って、これが二度目だから「第二次国共内戦」と呼ばれている。
正確な数字は神のみぞ知るだけど、この戦いで100万人以上が死亡し、勝者となった毛沢東は、北京で中華人民共和国の建国を宣言した。
一方、国民党は台湾に逃れ、1950年に蔣介石が台北で総統に復帰し、中華民国を存続させた。
そう約束した翌年、さっそく「双十協定」は破綻し、蒋介石率いる国民党と毛沢東の共産党による内戦が始まった。
中国人は本当に協力が苦手らしい。
両者は北京政府が崩壊した後に戦って、これが二度目になるから「第二次国共内戦」と呼ばれている。
100万人以上が死亡したこの戦いで、勝者となった毛沢東は1949年10月1日、北京で中華人民共和国の建国を宣言した。
一方、国民党は台湾に逃れ、1950年に蒋介石が台北で総統に復帰し、中華民国の存続を宣言した。もちろん、中国はそんな国を認めていない。

 

第二次国共内戦が終わったのは、一般的には1949年年とされているが、中国政府の立場ではまだ終わっていない。
台湾を吸収して、はじめて内戦が終了すると考えているらしい。しかし、台湾の方では、それはノーサンキューと言っている。
頼清徳総統はことしの「双十節」の式典の演説で、

「中華民国と中華人民共和国は互いに隷属しない」
「中華人民共和国は台湾を代表する権利はない。国家の主権を堅持し、侵犯や併合を許さない」

と述べた。
といっても、頼総統は中国と争うのではなく、対等の立場で交流をしていきたいと考えている。
対して、中国は台湾統一を目指していて、その姿勢はますます強くなっている。
中台が今後どうなるのかは、誰にもわからない。
これからも平和が続いて、10月10日には、「清を倒し、中華の共和国を建てた義士たちに敬礼!」と「祝福台灣生日快樂、國運昌隆」という2つのメッセージがなくならないことを願う。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。