西ヨーロッパにあるベルギー、オランダ(ネーデルラント)、ルクセンブルクの3つをまとめて「ベルセルク3国」じゃなくて、「ベネルクス3国」という。
*ベルセルク(バーサーカー)とは狂戦士のこと。
ここで注目するのはベネルクスの「ベ」と「ネ」。
グーグルでベルギーとオランダを入力すると、関連キーワードで「関係」や「違い」が出てくるから、この2か国の特徴がよくワカランという日本人は多々いるらしい。
ということで、これからその違いを知っていこう。
まずはこれが両国の基本情報だ。
ベルギーの首都はブリュッセル、面積は約31km²、人口は1,150万人。
オランダの首都はアムステルダム、面積は約41km²、人口は1,755万人。
北海道(約83km²、528万人)に比べると、どっちも半分以下の大きさの小国だけど、人口は首都圏レベルで、まるで箱詰めにされたチョコレートのようにギッシリ詰まっている。
いま自然と出てきたチョコでいうなら、ベルギーは「ゴディバ」を生んだ国だから、チョコを食べたかったらここに行くべき。
都市伝説か知らんけど、日本でオランダは「料理がマズい」、ベルギーは「美食の国」と対照的な評価がある。これは、ベルギーがフランス料理の影響を強く受けているせいか?
オランダはチューリップがキレイだから、花で心を癒されたかったらここを目指すべき。
ブリュッセルには、シンガポールのマーライオン、デンマークの人魚姫と並ぶ「世界三大ガッカリ」の一つ、小便小僧があるから、失望することを期待していくときっと満足できる。
21世紀のいまではベルギーでもオランダでも無宗教の人が増えていて、キリスト教の影響は低下しつつあるけど、歴史的には宗教の違いが決定的だった。
ベルギー独立革命
きょう12月20日は1830年に、ヨーロッパの列強がベルギーの独立を認めた日。
ネーデルラント連合王国(オランダ)からの解放を求めて戦っていたベルギーは、10月4日に独立宣言を出して、12月のこの日にイギリスやフランスなどから独立を承認された。(ベルギー独立革命)
中学生のカップルでも大人の夫婦でも、「この人とはマジでムリ。もう一緒にはいられない」と思うようになって、別れるにいたった決定的な要因として「価値観の違い」がよくある。
ベルギーの人たちがオランダからの独立を求めた理由もコレ。
革命が起こる直前までカトリックの多かったベルギーは、プロテスタントの多いオランダの一部としてその支配下にあった。
カトリックもプロテスタントも同じ神を信じるキリスト教で、仏教やイスラム教などの異教に比べれば、どっちも価値観や考え方は似ているけれど、やっぱり違う。
中世・近世のヨーロッパ人にはその違いが決定的で、カトリックを信仰するベルギーの人たちはプロテスタントの多いオランダに強い不満を持っていた。
それで1830年の8月、愛国心を刺激するオペラを見て、心に火のついたベルギー人が反オランダ暴動を起こす。
銀河英雄伝説のタイトルになりそうなこの『オペラ座の反乱』が革命運動につながって、10月4日にベルギーが独立宣言を出し、12月20日に欧州各国がそれを認めた。
いまのベルギーの建国記念日は、翌31年にレオポルド1世が即位した7月21日になっている。
だからベルギーとオランダは、歴史・伝統的にはカトリックとプロテスタントの影響力が決定的に違うのだ。
そもそもオランダも、カトリックを国教としてそれを押しつけていたスペインを嫌って、八十年戦争を経て独立を達成したのだから、原因や動機はベルギーと変わらない。
むかしのヨーロッパで宗教の違いはサヨナラの理由になる。
日本には美味しいチョコもキレイなチューリップもあるけれど、こういう分離・独立の歴史はない。
【鎖国中】オランダ人の日々 at 出島:屈辱と退屈とマジ名誉
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