はじめの一言
結論として私はこういわねばならない。二十余年間日本にとどまったことに悔いを感じていないと。そして、もし祖国フランスに帰るならこの「日の昇る国」ですごした年月をいつまでも歓びをもって思い起こすであろう
(ノエル・ヌエット 大正時代)
「日本絶賛語録 小学館」
今回の内容
・インドの夏の異常さ
・自然災害とダリット人のたち
・インド人から受けるあつかい
・カルカッタショック
・インドの夏の異常さ
インドの夏の暑さはクレイジー。
一年のうちで、インドがもっとも暑くなるのは5月のころ。
くわしくは下の記事を見てください。
暑さで「アスファルトが溶ける」とか「蚊が飛ばなくなる」というぐらいならいい。
インドではこの酷暑の時期になると、強烈な熱波によって毎年のように多くの人が命を失ってしまう。
たとえば、2015年の6月2日CNNのニュースにこのようなものがある。
(CNN) インドの当局者らは2日、同国を襲っている熱波による死者が2330人に達したと発表した。
こういうときに、最も危険なのは路上生活者たちだ。
猛暑に襲われたニューデリー市内の様子を、作家の曾野綾子さんがこう書いている。
アスファルトが融けるほどの暑さで、死者のほとんどは「路上生活者」だったのである。彼らは街路で死んで発見されたか、脱水症状と日射病で意識不明で病院に担ぎこまれてから死亡した
(日本人が知らない世界の歩き方 曾野綾子)
ボクがコルカタ(カルカッタ)で見た路上生活者の多くが、ダリットや低カーストの人たちになる。
路上で生活していたら逃げ場がない。
インドで猛暑に襲われるのはみんな同じ。
でも、それによって受ける苦しみや死ぬ確率はダリットと他のカーストとでは大きくちがう。
・自然災害とダリット人のたち
インドで洪水がおきた場合、高い確率で死んでしまうのが路上生活者やスラムで住む「最下層」の人たちになる。
「日本を救うインド人 島田卓」という本に、洪水が起きた後のインドの街の様子が書いてある。
インドで働いている日本人が工場に向かっているときに見た光景がすさまじい。
その作業に向かう通勤路は、あたかもキリングフィールドである。水死体が無造作に捨てられ、そこここで山になっている。
皆、自分の命をつなぐのに手いっぱいで、遺体を世話する余裕がないのだ。
なかでも最下層民らしい夫婦が、わが子と思われる遺体をその上に置いて去ろうとする姿を見て、さすがのT氏も泣きたくなったそうだ
低カーストのダリットたちには選択肢が少ない。
災害で亡くなるというより、「災害が起きたら亡くなるようなところしか、住むことができない」というのがダリットの現状だ。
もちろん、すべてのダリットがこうした環境にいるわけではない。
ダリット出身のビジネスエリートや政治家もいる。
でもそれはダリット全体から見たら本当に少ないだろう。
親や祖父母の時代から続く差別を受けながら、都市のスラムや路上で生活しているダリットの人たちは現在も多い。
しかし、多くのダリットが依然として先祖と同じ苦しみを味わっている(他のカーストとダリットの結婚もまずありえない)
(ビジネスマンのためのインド入門 マノイ・ジョージ)
・インド人から受けるあつかい
さらに、彼らダリットにとっての脅威は自然災害だけではない。
ときには、同じインド人からも日本では考えられないような扱あつかいを受ける。
都市に住んでいるダリットや低カーストの人たちが、インド人に「捨てられる」ことがあるという。
ボクが10年ぶりぐらいにコルカタ(カルカッタ)に行ったときのこと。
前に来たときよりも、物乞いの数がかなり減っていて驚いた。
「インドの経済がうまくいっていて、生活が豊かになっているんだな」と思ったらまったくちがった。
地元のインド人に話を聞くと、「彼らはトラックに乗せられて運ばれて行った」と言う。
このことは仕事で日本に訪れたインド人も書いている。
日本に着いてすぐに気になったことだが、乞食の姿がどこにもいない。道すがらも、喜捨(バクシーシ)を求める人たちや、裸足の人間や、物を売りつけてくる人間がいなかった。
貧民や難民の姿もまったくない。彼らはどこにいるのだろう。
デリーの場合のように、トラックに積み込まれてどこかに捨てられてしまったのだろうか(「喪失の国 日本」 文春文庫)
日本では想像できないようなことがインドでは現実としてある。
でも、都市伝説とうかデタラメな話も多い。
たとえば、こんなもの。
「物乞いのインド人は、自分の子どもがお金をたくさんめぐんでもらえるように、子どもの手足を切って障害者にしてしまう」
こんな話をどこかで聞いたことはないですか?
ボクがインドを旅行していたときに、何度かこんな伝説を耳にした。
じつはインドで会った日本人旅行者に話してしまったこともある。
でもこの話はウソ。
事実ではない。
これはしばしばメディアをにぎわす話題だが、「子盗り鬼」のような風説にすぎない。
たしかに、貧しい身体障害者は、生きるために物乞いをせざるをえなくなるが、その障害は世間でいわれているような残酷な仕打ちの結果ではない。また、物乞いの多くは巧みな演技者であり、すぐれたメークアップ・アーティストだということもいっておこう。
(ビジネスマンのためのインド入門 マノイ・ジョージ)
このマノイ・ジョージという人はインド人のジャーナリストで、インドのことに精通している。
その人の話なら、旅行者の無責任な話とは比べものにならないほど信頼性が高い。
日本人旅行者の間では、「インドなら何があってもおかしくない。インドなら何を言ってもOK」という気安さがあると思う。
だから実際にはないような話が「インドの真実」として語られるようになってしまうのだろう。
・カルカッタ・ショック
今は知らないけど、一昔前には「カルカッタショック」という言葉があった。
カルカッタ(コルカタ)の不衛生さや物乞いのひどさにショックを受けるというもの。
このショックを受けると、このような状態になってしまう。
昔或る作家がインドへ行って、ホテルから一歩も出られなかった、という逸話がある。
その人は潔癖症で、どこへ行ってもハエがたかり、不潔な乞食の手が触れるのにどうしても耐えられなかったのである(日本人が知らない世界の歩き方 曾野綾子)
ボクもインドを旅行していて、カルカッタショックを受けたことがある。
そのときはインドのヴァラナシという都市を訪れた後で、「初めてのインド」というわけでもなかった。
ヴァラナシでは火葬の様子を間近で見た。
人の身体が炎に包まれて黒くなっていく。
肉が炭になっていくのを見た感想というのは、言葉にすることがむずかしい。
ボクは聞いてはなかったけど、脳みそが沸騰する音を聞いたという旅行者もいた。
「それなりのインド体験をしてきたし、自分には『カルカッタショック』なんてものは受けないだろう」
そんなことを思っていた。
列車から降りてコルカタの駅の中を歩いていると、視界の隅に人の足のウラが見える。
駅の中にる建物と壁のわずかなすき間にむき出しになった人の足がある。
それも一つや二つではない。
数人の身体が積まれていて、その人たちの足たちだった。
その前を何人ものインド人が通りすぎる。
現実感がなくてその足がマネキンのよう。
けど、それらはすべて死体。
後からインド人にこんな話を聞いた。
駅の中やそのまわりで生活していて、その場で亡くなったがそこに運ばれて置かれているという。
こうした人にはダリットや低カーストの人たちが多いという。
ヴァラナシで人の身体が焼かれているのを見たけど、想像していた以上のショックは受けなかった。
「自分はこれから火葬場に行って、死体が焼かれるのを見る」という心の準備ができていたから。
でもカルカッタの場合はちがう。
列車から降りて駅の中を歩いていたら、いきなり死体を見てしまった。
青黒い足が何本も伸びていたのを目にしてしまった。
ヴァラナシで見たものよりも、カルカッタショックのほうがはるかに衝撃的だった。
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