はじめの一言
「この町でもっとも印象的なのは(そしてわれわれ全員による日本での一般的観察であった)男も女も子どもも、みんな幸せで満足そうに見えるということだった。(オズボーン 幕末)」
「逝きし世の面影 (逝き日の面影)」
今回の内容
・前回のまとめ
・人口の3%のインド人金持ちの生活って?
・前回のまとめ
タージマハルの入場料は、インド人は20ルピーだけど外国人は750ルピーになる。
その差は、なんと38倍!
外国人1人分の料金でインド人が38人も入ることができる。
何だこの差は、ぼったくりじゃないか?
そう思ってしまったけど、大切なことは38倍の差額に驚くことより、その差額の背後に目を向けることだ。
日本ではあり得ないような値段設定をするインドの社会とは、一体どんなものか?
インド社会の考え方や価値観からしたら、「外国人料金はインド人の38倍」という設定は自然なことかもしれない。
・インド人の3%の金持ちの生活
インドは、国民の97%が税金を払っていないというワケの分からない国だ(前回参照)。
インドで仕事をしている日本人がつき合うインド人は、ほとんどが3%の納税者だ。
彼らはインドの社会で”金持ち”にはいる人たち。
前回の記事で紹介した「日本を救うインド人 (島田卓)」の本の中で、日本人の筆者がこの3%のインド人の金持ちぶりに驚いている。
もちろん、この人も日本ではエリートだ。
経歴を見ると「東京銀行入行。本店営業部、ロサンゼルス支店を経て、1991年よりインド・ニューデリー支店次長」とある。
日本の社会でも間違いなく上流階級で、「お金持ち」に入る。
そんな人でも、社会の上部にいるインド人の生活は「日本のビジネスマには、度肝を抜かれることの連続である」らしい。
あるとき、インド人から自宅パーティーに誘われたその日本人は彼の家を見たとたんこう驚く。
家も敷地もでかい。エントランスホールだけでも優に80平方メートルはあって、東京の3LDKマンションなど、一室まるごとおさまってしまう。続くリビングルームは100、いや200平方メートル超か、100インチのフラットテレビがちっとも大きく感じない。庭にはプールありテニスコートあり、何百坪も広がる芝生は、専任のマリ―(庭師)が毎日の手入れを欠かさない
「(日本を救うインド人 (島田卓)」
「坪」という単位は、1人の人間が1年間で食べる量のお米がとれる田んぼの広さのこと。
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知ってましたか?すっごく人間的な、「石」「合」「両」「俵」「坪」の単位。
ここでさらに驚いてしまうのは、これは所有者のインド人が毎日過ごす家ではないということ。
インドの金持ちはふだんは職場に近い都市部に住んでいて、週末のリラックスタイムを過ごすための家をもう一軒持っているのが一般的だという。
だから、この家は「週末用の家」になる。
また、この日本人が別の金持ちインド人のパーティーに招かれたときには、参加者を楽しませるために花火が打ち上げられたという。
自宅パーティーで花火を打ち上げるために、そのインド人は花火師と数年間の契約を結んでいる。
そこまでの金持ちが日本で何人いるだろう?
でも、インド人のエリート・ビジネスマンが日本へやってくるとこれと逆の感想をもつ。
1992年に日本に来たという「シャルマ」というインド人は、日本の会社で用意されたマンションの部屋を見てこう思った。
その部屋というのが驚くほど小さかった。私は最初そこが召使の部屋だと思った。というのも、家賃が月額九万六千円、つまり二万七千ルピーもするのに、大きさがまったく釣り合わなかったのである。インドでは、豪邸がまるまる一軒借りられる家賃だ
「喪失の国、日本 (M・K・シャルマ:文春文庫)」
かつてヨーロッパ人がECの資料で日本の家を「うさぎ小屋」と書いた理由が分かってくる。
うさぎ小屋
日本人の粗末な小さい家のこと。EC(ヨーロッパ共同体)が昭和54年(1979)に出した内部資料「対日経済戦略報告書」中の語rabbit hutchの訳語。以後、これが日本では自嘲をこめて流行語化した。
(goo辞書)
1992年の東京で、月9万6千円のマンションに住んでいるビジネスマンなら、「お金持ち」ではないけれど貧しくもない。
「普通の庶民」だろう。
日本人には住みやすそうな普通のマンションの部屋だけど、金持ちインド人の目には「召使の部屋」に映るらしい。
でも、金持ちが多ければ良いということでもない。
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