日本とカンボジアの関係史 さすが日本人! と称賛されたワケ

 

「カボチャ」の由来になったといわれるのが東南アジアのカンボジア。
日本との関係はこの人の時代に始まった。

 

 

徳川家康がカンボジアの国王と「やあやあ初めまして」と書状を交わして、貿易を開始することで意見が一致。
それでスタートした朱印船貿易で日本の船が行き来するようになり、カンボジアに住む日本人も増えていき、やがて日本人町が誕生した。
そのころ森本一房という武士が亡くなった父と年老いた母のために、はるか遠いインドにある祇園精舎へ参拝に出かけることを決意する。
でも彼は、カンボジアにあったアンコールワットをそれとカン違いして、「祇園精舎は本当にあったんだ。父さんは嘘つきじゃなかった」と言ったか知らんけど、とにかく彼はそこでお祈りをして4体の仏像を奉納する。
そして江戸幕府が本格的な”鎖国政策”を始めると、カンボジアとの関係も終わった。

 

江戸時代に森本がアンコールワットの柱にした落書きは、いまでは日本人観光客の必見スポットになっている。
「日本」と書いてあるような?

 

時代は一気に駆け上がって、いまのカンボジアには「TAKATA HARUYUKI スクール」という小学校や「ハル」という村がある。
この2つのハルは、日本人の高田 晴行(たかた はるゆき)という英雄にちなんで付けられたもの。
日本とカンボジアのかけ橋となった高田さんは、1993年のきょう5月4日カンボジアで亡くなった。

日本で警察官をしていた高田さんは国際平和協力隊員に選ばれて、国連平和維持活動(PKO)に参加するため、1992年にカンボジアへ派遣される。
現地で警察官を養成する活動をしていた高田さんは翌93年、武装ゲリラの襲撃を受けて射殺された。
33歳で殉職した彼には2人の子供がいたという。
日本から来てカンボジアのために汗と血を流した英雄を記念して、現地の小学校や村にその名前が付けられることとなった。
30回目の命日となるきょうカンボジアの首都プノンペンで、日本大使などが集まって高田さんの慰霊碑に黙とうを捧げ献花を行ったという。

 

海外の紙幣に日の丸が描かれているのはきっとカンボジアだけ。

 

1991年は自衛隊にとって画期的な年になった。
中東での湾岸戦争が終わり、自衛隊が初めて海外へ派遣されて、世界の平和と安定のために任務にあたったのだから。
そして2度目が1992年の「カンボジア派遣」。
このとき自衛隊は国際連合平和維持活動(PKO)の業務をおこなって、カンボジアで道路や橋の修理などをしていた。

1990年代の後半にカンボジアへ行った時、日本語ガイドや宿の人から、「自衛隊をとおして日本人の印象がすごく良くなったよ!」という話を何度も聞いた。
まず一般のカンボジア人が日本人と触れ合うようになって、いろんなウワサ話が出るようになったのは、このPKO活動の時が初めてらしい。
自衛隊員の行動には秩序があるから、酔っぱらってカンボジア人に迷惑をかけるようなことはしないし、とても熱心に仕事をするからカンボジアの人たちは感心した。
PKOで派遣された日本以外の外国人がよく買春宿を利用していたことから、カンボジアでエイズが広がったという。
まあ国連平和維持活動で派遣されて、現地でそんなことをしてるのがバレたら、もう日本への帰国はあきらめないといけない。

日本語ガイドからは、「この道は日本の支援によってできました」みたいな表示があるわけでもないのに、ドライバーが車を走らせていると、日本のつくった道路はすぐに分かるという話を聞いた。
その道だと車体がガタゴトすることなく、安定するからすごく走りやすい。
ほかの国がつくった道には凸凹があったりして振動を感じるけど、日本の道ではそれが消えてスピードも出せるから、ドライバーならすぐに分かるし助かるらしい。
規律ある行動・熱心な仕事ぶり・走りやすい道路はすべてつながっていて、「さすが日本人だ!」とカンボジア人が称賛したという。

 

ということで徳川家康から始まったカンボジアとの関係は、自衛隊や高田晴行さんたちによって日本人への評価が高まったことで、いまではかなり良い感じになっている。
これからカンボジアへ行く日本人も先人と同じように、「さすが!」と言われるような行動をするべき。
落書きをするのは森本一房だけでいい。

 

おまけ

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。