「この作品で感動するかしないかで、『人間性があるかないか』がわかる。」
最近ある映画館チェーンが医療系の映画について、公式アカウントでこうツイートした。
裏を返せば、これで泣けないヤツは人間としておかしい、と言ってるようなもの。
なんで担当者には、「感動を押し付けんな」「すごい上から目線」「見なければ人間性を問われない」と炎上する未来が見えなかったのか。
まあ誰だって、ひとつの価値観で人間性を判断されたくない。
ここまでひどくはないけれど、知人の中国人が似たような体験をした。
日本の大学に通う彼が、同じ留学生のバングラデシュ人のイスラム教徒と話をしていて、「ところで君は何の宗教を信じているんだい?」と聞かれた。
「ボクは何の宗教も神も信じていないけど、それが何か?」と答えると、バングラデシュ人は大きい目をさらに大きくして、
「じゃあ、君は一体どうやって生きているんだ?まったく理解できない!」
と、あり得ないものを見たような顔をして言う。
神なんて必要ないと考えていたその中国人としては、いきなり自分の存在や人間性を否定されたようでやや不快になった。
イスラム教徒を表すアラビア語のムスリムには、「神に身を捧げた者」や「神に絶対服従した者」という意味がある。
だから反論は許さない。
聖書のクルアーン(英語:コーラン)に、豚肉を食べたりアルコールを飲んではいけないと書いてあったら、理由が分からなくても、とにかくそれに従わないといけない。
そのバングラデシュ人のイスラム教徒は、自分が日本に来て良い友人に恵まれて、幸せに生活できているのもすべてアッラー(神)のおかげと考えて、1日に何度も礼拝している。
そんな人間からすると、神の存在がなくなると生活や精神の基盤が崩壊して、どうやって生きていけばいいのか途方に暮れてしまうらしい。
そんな話を聞いて中国人は、
「彼はフレンドリーですごく良いヤツなんです。でも、神を絶対的に信じて、それにすべてをゆだねるという考え方にはついていけませんね」
とため息をつく。
そんな彼の発想はとっても合理的。
「いま日本の大学で学んでいられるのは、自分の努力のおかげです。良い友人に囲まれているのも、自分の性格がその理由ですよ。自分を支えてくれたのは親ですから、両親には感謝しています。人生には運や偶然もあったと思いますが、自分の人生に神はいません」
彼は自分を共産主義者とは思っていないけど、その影響は受けていて、信仰については無神論&無宗教という立ち場だ。
それも徹底していて、いままで受験を含めて、お寺や廟へ行って何かを祈願したことは一度もない。
「どこかへ行って祈るのは無意味で、時間とお金のムダでじゃないですか。その分のエネルギーを学習に使ったほうが合格に近づきますよ」
無宗教を自認するボクでも、この中国人の合理的で冷徹な考え方にはちょっとついていけない。
友人のバングラデシュ人とは、相性がいいから個人として付き合っているけれど、ムスリムとしての言動は受け入れられないという。
中国人の彼からすると、「まったく理解できない!」というのはイスラム教の考え方だ。
たとえばイスラム教では一年のうちで神聖なラマダン月があって、その期間中、信者は断食をしないといけない。
そのバングラデシュ人の話では、高温多湿の日本の夏とラマダン月が重なると、断食をしながら日常生活や各種作業をしないといけないからかなり大変になる。
自分から見ると、神との約束で断食をするのは無意味で、そのために作業効率や集中力が下がるとしたら本当にムダ。
「宗教ってアヘンなんです」と彼はマルクスの言葉を使う。
*マルクスがこう言ったのはいまから200年ぐらい前、まだアヘンを違法薬物と敵視する見方があまりなかった時代の話。
宗教には批判的だったマルクスも、民衆の精神の「痛み止め」にはなると限定的にその効用を認めているから、宗教を完全に否定したわけではない。(大衆のアヘン)
自分はまったく共感しなくても、イスラム教徒にとって、ラマダン月の断食が大事な義務であることは理解できるから、そのバングラデシュ人の前で否定するようなことは言わない。
2~3日の断食なら健康に良さそうだから、してもいいと思うらしい。
無神論者の彼からすると、神のおかげで実現できたという物事は人間の力で達成することができるし、宗教が原因で争いが起きて人が死ぬのは愚の骨頂。
誰もが平等であるというイスラム教の考え方は、共産主義にとっても大事な考え方だ。
神がいないと、どう生きていけば分からないという友人と、そんな存在は1ミリも必要ない自分とでは埋められないほどの違いがある。
だから、「君は一体どうやって生きているんだ?」と驚かれた時には本当に驚いた。
自分の価値観を相手に押し付けたら、「神を信じるかどうかで、人間性があるかないかわかる」なんてことを言ったら、ケンカになるのは目に見えているから、どっちもそんなバカなことはしない。
「信仰については絶対に分かり合えない」ということが分かり合えれば十分で、お互いそんな認識で付き合っているという。
国同士でも、イスラム教を国教とするパキスタンと中国は最高に仲が良いから、価値観や考え方が違っても利害が一致すればタッグは組める。
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